僕の夢が"6,000万"から"1,200万"に各下がってしまった話。
車が大好き。
幼い頃から変わらない趣味です。
最近では夜、街ゆく車の全体像が見えなくても、ヘッドライト(テールライト)だけでだいたいの車種の目星はつくようになってきました。
なんで好きになったのか思い返してみると、やはり父親の影響だと思います。
幼い頃に連れて行かれたモーターショーに漠然と「かっこいい」「あんな車に乗りたい」と目を輝かせていました。
さて、今回は夢についての話です。
車種単位で車を好きになったのは高校生くらいからだという記憶があります。
今から7年くらい前ですね。
その当時は、
『俺は将来4台の車を用途によって使い分けて乗り回すんだ』
と決めていました。
ちなみにその4台は、
・Lamborghini - Aventador:渋谷や原宿など若者の街へ繰り出す用
・Audi - R8:六本木や日本橋など大人な街へ繰り出す用
・日産 - GTR r-35:近場への買い物用
・Hummer - H2:オフロードを乗り回す用
です。
詳しい価格は覚えていませんが全部買ったら優に6,000万はいく気がします。
で、この4台のトミカを買って、ガレージに並べる時どういう順番で並べるか、ひたすら考えていたものです。
車が大好きな僕にとっては、割とその生活ができるようになるのが最終的な夢、みたいなところがありました。
それが、社会人目前、大人となった今ではどうか。
『いずれは2台持ちできたらいいな...』
になってしまいました...。
ちなみにその2台というのは、
・Chevrolet - Camaro か Ford - Mustang
・Jeep - Wrangler
です。
ざっと2台で1,200万くらいですかね?
単に、趣味嗜好が変わったという話ではありません。
20歳を過ぎて、純粋な"夢"に"現実味"が邪魔をし始めたんです。
無意識のうちに、「自分に買える金額か否か」という判断軸が追加されてしまった...。
初めてそれに気付いた時はすごく悲しかったですね。
「無意識に自分の限界を決めてしまっている」ことが...。
今、「夢は大きく持とう」という言葉の意味を痛感しています。
もちろん、最終的に達成したい大きな夢があるなら、そこに行くまでの道のりとして現実味のある夢も必要になってくると思います。
例えば最終的な夢が『年収2,000万稼ぎたい』なら、『2年以内に昇進する』みたいな小さな夢も必要だと思うんです。
でも僕の場合、高校生の時最終的な夢としていた夢の規模が気付いたらものすごく現実味を帯びた小さな夢になってしまっていたので、悲しさを感じているんです。
「それでもいいじゃん夢があるだけ」という人もいるでしょうが、個人的にイヤなんです笑
今一度自分が最終的にありたい姿ってなんなんだろう、したい生活ってどんなだろう、ってことについて考えようと思いました。
今年は2年に1度のモーターショーイヤーなので、子供の心を取り戻して、将来乗る車を選んでこようと思いますw
ではまた。
#大人になったものだ をつけていますが、どちらかというと #大人になってしまった ... ですね笑
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