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京都で出会った諸行無常なうどん屋さん

初夏の香りがほんのりとした4月半ばの京都は、グラサンを掛けてもなんら違和感はなかった。
日本は気づけば、どいつもこいつも外国人で、日本全国の観光地が異国の柔軟剤のにおいで充満している。
由緒正しい寺にいこうが神社にいこうが、においだけはコストコにいるときとなんら変わりはない。
閑静なお寺で、線香よりも、あのくまちゃんパッケージのダウニーのにおいのが強いのを感じて、これからの我が国はなにかよくない方向に行くに違いない。。。と怪しいサングラスを掛けた女はひとり思った。

c'est bon!「すてきね!」
一瞬スマホに気を取られていた私は、どこかのフランス人の一言でパッと目を上げた。
そこには満開の花が覆う美しい庭園の間に五重塔がそびえたっていた。

まあ、街中がダウニーのにおいすんのはちょっと嫌だけどさ、
こんな素敵な景色を外国のみなさんに知ってもらう機会が増えるのなら、円安もたまには悪くはないんじゃない?たまに、で済めばいいけど・・・

。。。はっ そうじゃない
私が今日、東寺に来たのは、この日本情緒あふれる美しい風景にうっとりするためではなかった。

東寺は、みうらじゅんの初デートの場所だからだ。
小学生の時に初めて東寺の講堂に女の子を連れて行って、一生懸命空海の話をしていたら
「もうかえってええかな?」
と言われた。(ドカーン)
なんどもラジオで喋っているであろうMJの十八番。

仏像への造詣も、仏教への理解もなにひとつ乏しいけど、
みうらじゅんのことが好きすぎて。という一本槍で、大阪からわざわざやってきた。

講堂と聞いていたから、学校にある講堂をイメージしていて、それは相当広くて暗くてやたら涼しい、なんかエッチな空気にもっていきやすそうな所なんじゃないかと予想していた。

でも実際は全く違った。
仏像が20体くらい連立していて、眺めるためのスペースと、申し訳程度に座る場所しかなかった。
仏像自体も、威厳だけは伝わるけども、せやから何やの?
知識がないと楽しめないものだという事だけは伝わった。

それをMJは子供の時から熱中していたなんて、改めて彼のクレイジーさにクラクラした。
10年ほど前に菩薩顔の歌手と再婚したという情報も入っていたから、菩薩だけはやたら丁寧にじっくりと見た。
ふぅーん。これが彼の女ねー。まあわからんでもないわ。
この敷地内にある殆どの事がわからんのに、私はそうつぶやいた。

お昼は東寺の近くにあるうどん屋さんに行った。
ここにも、もちろん確固たる目的があって行ったわけで、
いとうせいこうとみうらじゅんのサイン色紙が飾られている店だという事をネットで知っていたからだ。

だけどもその店は、私が半径200m以内のあたりから歩いて向かっている途中から嫌な予感がした。
店の中から出てきたおばさんがずっと、「今日は暑おまんなー」とでも言わんばかりに
店の前できょろきょろしている。なかなか中へ戻らない(今ちょっとポケモンのあの歌、なかなかなかなか大変だけど♪みたいになったよね、ぷぷぷ)
そう。その店のおばんがなかなかなかなかなかなかなか店に戻らない。

ってことは暇だよな?ってことはそんなに美味くないんじゃないか?
ほんとに何の根拠もないけど、みうらじゅんのサインがあるようには思えなかった。

でもここまできたからいったん店の前まで行こうか。。。
少し立ち止まるやいなや、「おうどんどぉですか?♡」
近くで見るとそのおばさんは物凄く化粧が濃かった。

これはかつて、なんばの自由軒の名物おばちゃんに遭遇した時と全く同じ嫌悪感だった。
私は、カニでもエビでもなんでも食べれるし、花粉症もない全くの健康体なのだが、ただ唯一、歳を召されている方の気合の入った厚化粧にたいして非常に強いアレルギー反応を持っている。
その粉々しい様子を見ると、とたんに今まであった食欲が消滅してしまう珍しい持病も持っている。

だけども、みうらじゅんのサイン色紙を見つけるまで今日のところは帰れないことに自分の中でしてしまっているのだ。
もう入口の時点で相当なアレルギー反応はでたが、とりあえず入るしかない。

中へはいったら、そこはグーグルマップで予めみていた様子とまるっきり違った。
まずネットの写真ではサイン色紙やら孫が折ってくれたのであろう折り紙が飾られていたりしてとにかく壁中がごちゃごちゃしていたのに、壁一面きれいなものに張り替えられていた。

私の頭は静かに混乱した。
みうらじゅんのサイン色紙はどこ?そしてあの厚化粧のおばちゃんが中にまたもう一人おった。これで完全にここで何かを食べたいという意欲は消滅した。だけど今更、外界に戻る勇気も言い訳も見つかりやしないし。。。
テレビは奈良の天理市で行われているのど自慢大会が流れている。
「Yeah~~めっちゃホーリデェーイ!」
私も本来はめっちゃホリデイするつもりだった。だけと気づいたら、なんの目的も果たせないただただ食欲を奪われていく魔界に迷い込んだのだ。

しかたなくうどんを一杯頼んだ。
ほとんど脂身だけの肉と、ほとんど衣だらけの海老天と、甘い揚げとがついて1200円。
みうらじゅんと同じになれるためなら、サングラスに4万円を平気でつぎ込む私だが、こんなにやる気のないうどんに1200円払うのは、はらわたが煮えくりかえるではないか。サインどこやねん。

「遠いとこからきたの?」一人のおばちゃんが私に尋ねてくれた。
チャンスだ!「大阪です。あの、みうらじゅんといとうせいこうのサインが置いてあるのを見てきましたが、もしかしてもうリニューアルされましたか?」
聞くところによると経営者が変わったから昔おいてたものは一掃したらしい。

「僕がこれからここですることなったんで。よろしくっス。」
よくわからない若めの兄ちゃんが頭を軽く下げた。
キャップのツバを逆にして被っていたから、きっとみうらじゅんの事をよく知らずに「なんやこれっ」的なテンションで捨ててるんだろう、きっと。
それにしても、いくら東寺の名を借りても、あんなに脂身サーカスのようなうどんじゃきっと無理だ。
これじゃ南無阿弥陀仏どころか脂身陀仏じゃないか。

ネットではうどんに湯葉が乗っているのを見た。
だけど湯葉もうどんについてなかった。
きっとキャップのツバを逆にして被っているから。湯葉のしたたかな美味しさなんてわからずに、「こんな意味わからん食べ物なしや!」的な感じで撤廃されたのであろう。

諸行無常とはきっとこのことを言うんじゃないか。
私はみたこともない先代のおじいさんの顔が浮かんだ。
誰かにとって代わって、好きなようにされている寺のちかくのうどん屋で、仏教の教えをひとつ教わったような気がした。



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