見出し画像

“意味ある?”の意味について

授業で生徒に課題を出すと、時々「こんなことやっても意味ねぇし」といった声が聞こえてくることがある。学生だからというより、大人でも仕事や日常生活で「意味」について問う場面って、ありますよね。

「意味ある?」っていう問いには、そもそもどんな「意味」があるんだろう?
ふと、朝のウォーキング中にこんな疑問がわいてきた。

「意味ある?」という言葉には、「やりたくない」「めんどくさい」という感情が隠れていることも多いのではないかと思った。でも、この問いが出る背景に、ただの逃避だけでなく「自分にどう関わるのか?」を知りたいという気持ちもあるんだとしたら、この疑問も少しは前向きなのかもしれない…。
自分次第で、行動に「意味」を与えられるかどうかが決まる。そんなふうに私は考えている。

人間は優れたコンピュータのようなもので、疑問に思ったことを分析し、答えを導き出す力があるそうだ。
「意味がある」と思えば、自分にとっての価値を見つけ、経験を積み上げ、自信へとつながるでしょう。この積み重ねが自己肯定感を育て、やがてそれが年輪のように成長の基盤を広げてくれるものだと思うんです。

一方で、「意味がない」と感じてしまうと、「やらない」「避ける」といった選択肢が膨らみ、貴重な経験の機会を逃してしまうことも。その分、自分を肯定する機会も少なくなってしまうかもしれない。

そこで私は、生徒に「この課題が自分にどう関わってくるのか、ちょっと考えてみようか?」と声をかけることにしている。そうすると、少しずつではあるが、生徒たちも自分の意識で課題に意味を見出そうとするようになり、これが彼らの成長のきっかけになるのを感じる瞬間がある。

実は私自身も「意味ある?」と問いかけたくなる時には、少し立ち止まって考えるようになった。自分なりに意味を見つけることで、日常や仕事の中にも新しい発見が生まれることが多いと気づいたのからだ。

つまり、「意味ある?」という問いは、ただの逃避で終わらせず、「どう自分にとって意味があるか」を見つけるチャンスかもしれない。そんなふうに問いを前向きに変えたら、意味がないと思っていたことも、案外自分の成長につながるのかもしれない。

「どうせ無理」や「難しい」という言葉を口にすると、自分で課題に向き合い、答えを導く行動がそこで止まってしまう。でも、「どうしたらうまくいくのか」「どうしたら実現できるのか」と考え続ける姿勢を持つことが、自分の可能性を広げるのだと改めて感じました。課題に向き合うことを途中で完結させない姿勢が、きっと自分自身を成長させていくための鍵になるんだと思う。

「じゃぁ、こうしてみよう!」と言えるようになったら、もっと素敵かもしれませんね。

いいなと思ったら応援しよう!