「この手を離さない、よ」

 自分の両親が、大昔は子供で、他人で、恋人になって、結婚して、私を産んで、年を老いていったなんで考えられない。ねぇ、パパ。ママは昔どんな女の子だったの?私と同じで、どんくさくて、なのに、生意気で、でもとってもスタイルの良い、可愛いマドンナだった?あのね、ママ。昔のパパって今よりも当然かっこよくて、痩せていて、髪の毛もフサフサで、もっと元気で明るい『男子』だったんでしょう?そうじゃないと、ママがパパを好きになるなんであり得ないよね。


 心に浮かんだ言葉はもうママに届くことはない。
「カ~レ~ン~!買い物お願い~~!」
「あ、……は~~~~い!今!降りる~!」
私の部屋は西向きで日当たりが尋常じゃないくらい、いい。昔はママの部屋だったみたい。私が島に引っ越してくる時、ともみさんは、「ここは、ママの部屋なんだからここにあるものは娘のあんたのものだよっ」て、ニコニコしながらカーテンを開けてくれた。窓から差し込む光。通りすぎるしょっぱい風。北欧デザインのカーペットに、ドレッサー。そして、ブランドバック、靴、ドレスが最高に似合わない押し入れで眠っていた。それを見て、私はママが「田舎のともちゃんの家にはね、ママの部屋があるの。おばあちゃんもお父さんも内緒のね。その部屋にママに大好きなものを全部置いてきて、ママはアイドルになったんだよ。」って教えてくれた。


 両親がつけてくれた「カレン」という名は、私がこの世で一番可愛くて、一番素敵なんだよ、って肯定してくれた気がするの。


 ともみさんは、ママも古い友人で、この島で唯一のスナックをやっている。一階がお店で、二階がともみさんのお家。そして三階は、元々民宿をやっていたみたい。でも、ともみさんのお父さんがガンで死んじゃった時に民宿は辞めて、スナックだけをお母さんとともみさんでずっとやってきたんだって。ママはそのスナックで高校生からバイトしていたみたい。
 そこに、売れない芸能事務所でスカウトマンをやっていたパパが偶然仕事で来て、ママに公私混同、一目惚れ。ママをアイドルとして育てながら、パパとママは愛も育んだらしい。ママは今でも、歌番組の貴重映像なんかで出てくるから全然死んだって感じしないけど。
「カレン、斎藤さんとこ行って野菜いつも買ってきてくれる?ゆうちゃん、全部使っちゃたみたいなのさ」
「え~……齊藤さんところの引きこもりがキモいから行きたくない」
「そんなこと言わないの!いいから、お願い!ね?」
「てか、そもそもゆうすけが使ったならゆうすけが買いに行けばよくない?」
「そのゆうちゃんが見当たらないから、カレンにお願いしてるんじゃない?」
「…………かしこまりました。」
 ゆうちゃん、こと、ゆうすけはともみさんの息子だ。ママが死んで、多忙なパパと暮らしているのが意味わかんなくなって、ひとりが嫌になって、そんな時「じゃ、ここに住めばいいじゃん」と言ってくれた、私の恩人。(だが、私は恩人とは思いたくない。)ゆうちゃんは今年で三十を迎えるおっさん。(そのおっさんを未だに「ゆうちゃん」と呼んでいるともみさんは親バカってやつだと思う。)


 齊藤さんの野菜屋さん。自転車で行っても二十分くらいかかる。ここに住んで二年。二十歳を迎えたばかり私には往復四〇分がそろそろキツイ。ゆうすけはきっと、今日もどっか釣りして、島のじいさんたちとのんびりして、夕方になってお店が開く頃に家に戻ってきて、お客さんのじいさんたちと酒飲んで(たまにゆうすけ目当てのババアも来る)、そんな毎日の繰り返しだ。私だって結局ギリギリ高卒だし、お店しか手伝ってないし、クソニートだけど。ともみさんはそんな私やゆうすけにも何も言わないから、ニート製造機だと思う。
 ほら、やっぱりいたじゃん。
「ゆ~~~~す、け~~~~~!!」
海岸通で見つけた背中に叫んで、私は力いっぱいペダルを漕ぐ。その背中は、私の声に気づいて、振り返り、笑って走りだした。自分の呼吸も、心臓も、まわりも景色もどんどん速くなっていく。追いついたのは一瞬だった。
「自転車に勝てると思ってんの!?」
「はぁ……うるせークソガキだな…。」
「だいたいゆうすけが野菜全部使ったから、私があの引きこもりのところまで買いにいかなきゃ行けなくなったんですけど!」
「齊藤さんとこの息子さん、いいやつだよ?意外と。」
「アイツ、私を性的な目で見てるから、嫌い。」
「自意識過剰が過ぎてて、おじさんはびっくりだよ……。ついてってやるから、選手交代な。」


 そう言ってゆうすけは、私を自転車の後ろに乗せた。風が気持ちいい。この島は、狭い。狭い。狭い。なのに、どうしても海や風や星空に、果てしない広さを感じてしまう。それがちっぽけな私にとって、救いだった。
「ねぇ~、ゆーすけ。」
「なんじゃい。」
「私もさ、もう先月二十歳になったじゃん?」
「あ、そうだったけ?」
「ケーキ食べたじゃん!」
「食った、食った。」
「だからね、ともみさんにお店、夜も手伝わせてって言ったらダメって言うの。」
「カレンが顔だけはいいから、自分がチヤホヤされないのが嫌なんだろ。」
「……同じこと言われた。」
「ほら!やっぱり!こういうところやっぱ親子だな~って自分で思っちゃうね。」
そう言って、ゆうすけは笑っていたけど、親子だからじゃなくて、二人とも私を心配してくれているだけだと思う。二人は大人だから、私と少し一線を引く。それは、少し寂しくて、安心もして、でもやっぱり寂しい。


「たぶんさぁ、ともみさんは、私がいつか東京帰ると思っているのかな。」
「えー…。なんも考えてなさそうだけど。」
「……私は帰る気ないんだけどなぁ。」
「……でも、お前の父ちゃん、いつまでもひとりぼっちなのは可哀想じゃないかい?」
パパは大丈夫だと思う、と言いかけた言葉をしまった。パパは、ママが死んで、私の十倍泣いていた。でも、パパは私の百倍は、まわりの人に支えられた。事務所の社長や先輩、ママと同期だったタレント、担当していたアイドルの子、パパはなにせ人がいい。パパを支えたい、支えようとしてくれる人たちはたくさんいた。私は…。私はいたのかな。ママの地元に引っ越すって言ったとき、友達はなんて言ってたけ?思い出せないや。私には、ママしかいなかったから。可愛いママに「可愛いね、カレン」って。カフェに行って、映画見て、買い物行って「楽しかったね、カレン」って、笑うママと過ごす時間が何よりも楽しかったから。友達ってわかんないんだ、ってママに言ったときも、ママは静かに抱きしめてくれた。「ママもね、友達ってたぶん、ともちゃんしかいないの。ママに似ちゃったんだね。ごめんね。」ってママは泣いていた。ううん。一人もいるだけ、すごいよ。ママ。


「ママはね、友達がともちゃんしかいないし、東京行っても全然楽しくなかったと思うって言ってた。」
「へぇー…。」
「でもね、パパといるとパパが友達を作ってくれるから、仲間も見つけてきてくれるから、パパと結婚して幸せだったんだって。」
「お前の父ちゃん、めっちゃいい人だもんな~。」
「……だから、パパは大丈夫、だと、思う。」
きっと、ひとりで大丈夫じゃないのは、わたし、だけ、だ。

「……この手をー、離さない、よ。これからもー、ともに時を、縮めようー。」
青い空にゆうすけの声が溶ける。何も聞かなかったし、言わなかった。ただゆうすけは自分の声に合わない、少し高い、聞いたことない歌を歌っていた。声が、風が、海が、私を包んでいく。

「歌詞、ちげぇし。」
帰って調べたら、微妙に歌詞が違った。アイドルの曲らしい。でも、全然かっこいいな。かわいいよりかっこいいな。励ましのつもりだったのかな、それともただ気持ちいい天気だから歌いたくなったのかな。わからない。わからないけど。ちょっぴり、私はひとりじゃないって思えたよ。

また、朝が来る。この島は夜は暗く、静かで、朝も明るく、でも、静かだ。この島で、私はまだ暮らしていける。ママとパパからもらった「カレン」っていう最高にかわいい名前と、ともみさんからもらったこの暮らしと、ゆうすけ、と。島には似つかないブランドバックたちに囲まれて、私はまだ、生きていける。



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