ホロコースト史伝承の「いままで」と「これから」
ホロコースト史伝承の「いままで」と「これから」
〜テレジンメモリアル館長へのインタビュー〜
5/16(日)にハンナ・ブレイディ生誕90年を記念してオンライントーク「ララ・ハンナの宝物」が開催されます。
児童書『ハンナのかばん』主人公のハンナが2年間収容されていた場所テレジン。今回はインターンのかおるがテレジン記念館の館長のJan Roubínek(ヤン)さんにお話を伺いました。
チェコで生まれ育ったユダヤ人のヤンさん。戦時中、祖母や親戚はナチ・ドイツによって開設されたユダヤ人ゲットー・テレジンで暮らしていた。そのため、ヤンさんにとってホロコーストの歴史やユダヤ教は幼い頃から日常の一部だったという。19歳の時に移住したイスラエルでは歴史を学んで10年間を過ごした。
後にイギリスに渡って7年間を過ごし、12年ほど前にチェコに戻ってからは現在の場所でホロコースト史を伝えてきた。
ホロコースト教育で大切なこと
数々の学校とも連携し、歴史の伝承に取り組んできたヤンさんにホロコーストを伝える上で大切なことを聞いた。
ホロコースト史を伝える上では生存者の存在が欠かせないという。彼らの話を聞くことで、当時迫害された人々の立場に立って歴史を理解することができる(“Trying to get into shoes of someone who was suppressed then”)。
子供たちにホロコーストを伝える時、ヤンさんは本や教科書から学べるような一般的な情報は教えない。
ホロコースト生存者も戦前は今のチェコ社会を生きる人々と同様に「普通の」暮らしていた。このような戦前の話を交えつつ、個人的な物語として理解してもらうよう心がける。
ホロコースト史伝承のいままで
現在のチェコではホロコーストの学習は義務教育に組み込まれているが、
実はこのような教育がなされているのは冷戦終結以降だ。
戦後、多くの東欧諸国は共産主義政権の制約を大きく受けていた。共産主義政権下のチェコではユダヤ教の信仰が制限されていたため、ホロコーストの歴史やユダヤ文化の伝承は家族間で行われていた。
それでは戦後を他の国で過ごした人々はどうだったのだろうか。ヤンさんはイスラエルに滞在していた際、チェコとイスラエルのホロコースト生存者の違いを感じていた。
50年間、共産党政権下のチェコで、ユダヤのルーツや信仰に公の場では触れずに暮らしてきたホロコースト生存者50年間、自分たちの生存を賭けて戦ってきたイスラエルに住むホロコースト生存者戦後50年の間暮らした環境によって、彼らがホロコーストに関して問われていたことや周囲から求められてきた話は違っていた。それに伴い、彼らの戦争の捉え方もまた異なっていた。この違いはアメリカやフランスのホロコースト生存者たちとの間でも見られた。
このような違いが見られたのにもかかわらず、1994年、様々な国で暮らすホロコースト生存者たちが一同にテレジンに会した時、面白いことに彼らの間には強い結びつきが感じられたという。ヤンさんは戦後50年間の違いは大きな問題ではなく、むしろお互いに支援しあってホロコーストを乗り越えたというその繋がりこそが大切だと強調する。
ソ連が崩壊した1989年以降、東欧も含めたヨーロッパでホロコースト史の伝承は盛んに行われるようになった。国家の歴史の一部、そしてヨーロッパの遺産 ”European legacy”として認識されるようになっていったという。このような過程でチェコでもホロコースト史が学校教育に組み込まれていった。
ホロコースト伝承のこれから
そして今、ホロコースト史の伝承はまた新たな段階を迎えようとしている。
ホロコースト教育の大衆化、そしてホロコースト生存者の減少が挙げられる。
ホロコースト史は学校教育でも盛んに取り上げられるようになり、一般的な知識として知られるようになっていった。しかし、それに伴ってホロコーストを義務感から学ぶことになり、浅はかな理解になってしまうことをヤンさんは懸念する。
本当はもっと心の奥深くで理解する必要があり、表面的な理解にとどまるのは好ましくない。生存者との対話を通して歴史を自分ごととして捉えることがなおさら重要となってきている。しかし、生存者の数も減少し、生の声で体験談を聞くことも難しい。
このような状況の中、生存者がいなくなってしまう時代に向けて備えが行われている。アメリカでは、ホロコースト生存者の証言を集め、生存者とバーチャル対話ができる取り組みが行われている。そのほかにも、ホロコーストだけではなく他のマイノリティ迫害の歴史を伝える団体などとの連携も始められている。
ヤンさん自身が館長を務めるテレジンメモリアルでも映像、音声、写真、ネットを駆使して新たな形でホロコーストを伝えようとしている。
ホロコースト史をなぜ学ぶのか
最後にヤンさんがどのような思いでテレジンでホロコースト史を伝えているのかについて伺った。
「いつでも、些細なことであっても民主主義の脅威となりうる」
このことを人々に自覚させることこそがヤンさんたちのミッションだと教えてくれた。
「民主主義への脅威は静かに近づいてくる。小さな一歩を重ね、社会の人々がそれを受け入れるかどうかを試す。そして社会にそれが受け入れられれば、また次のステップへと進んでいく」
ヤンさんはこのように警告する。いつ襲ってきてもおかしくない民主主義の脅威をを食い止めるためにヤンさんたちは時代にあったアプローチでホロコースト史を伝え続けている。
<インタビューを終えて>
ホロコーストの理解が浅はかなものになってしまうのではないかという不安。そして、生存者が年々減少していくことに対する危機感をヤンさんの言葉から感じた。
私は数年前に戦時下を経験した二人の祖父を相次いで亡くした。彼らから戦時下の空襲の恐ろしさを聞いていた。祖父の生々しい体験談を聞くことができたからこそ、歴史を自分に重ねて考えることを可能だったのだと思う。
祖父が亡くなり、古い記憶が失われてしまう不安を何となく感じていた。
今回ヤンさんの話を聞き、負の歴史の被害者がこの世から旅立ってしまうことの危機感を今まで以上に自覚した。
また、このような不安とは反対に、世界各地で行われている取り組みを次々と紹介するヤンさんの姿からは希望に満ちたエネルギーを感じることもできた。テクノロジーを駆使し、これまでにない世界的な繋がりによって、ホロコーストを伝承していく新たなこころみに期待を寄せていた。
歴史の受け継ぎ方も時代によって変わってくる。ホロコースト生存者が減少し、新たな転換期を迎えている今、いかにリアルな形で負の歴史を保存し、教訓にすることができるのか。私も身近な人と是非議論していきたいと思った。
\いよいよ明日開催!/
ハンナ・ブレイディ生誕90年記念オンライントーク「ララ・ハンナの宝物」
一つの家族の物語を通して、歴史をたどります。「ハンナってだれ?」日本の子どもたちの疑問から生まれた実話です。