「特別寄稿:わたしがいる、あなたがいる、なんとかなる⑥」by抱樸職員 有留佳乃
抱樸とさまざまな形で関わる皆様に、抱樸にまつわるテーマから、自由な形式でご寄稿いただく企画。第6回は抱樸職員の有留さんです。
ぜひお読みください!
____
抱樸が大事にしている言葉に「出会った責任」というものがある。
それだけを聞くと、何か、重くのしかかってくるように感じる人もいるかもしれない。責任なんか簡単に持てるか、と思うかもしれない。
特にいまはなんでも「自己責任だ!」とする人たちの声が大きくて、「責任」はこわい言葉になってしまっている。
でもわたしは実際に、この言葉に支えられたことが何度もある。
以前のわたしは、だれかがつらそうにしていても、「わたしなんかが声をかけたって、なんの助けにもならないんじゃないか」「もっとふさわしい人がいるんじゃないか」と思って何もできなかった。
家族であるとか、何でも話せる親友だとか、「わたしであるべき理由」がないと一歩が踏み出せなかった。
だから抱樸の人たちに出会って、とてもびっくりしたのだった。自分の家族でもなく、すごく仲が良いからでもなく、「出会った」というその事実だけを理由に関わり続ける。
そして「出会った責任があるから」と言うその表情は、重々しくて神妙な面持ちなんかではなく、とても軽やかなのだ。
いまは、目の前にいる人がしんどそうな時、いまにも消えてしまいそうな時、いつも「わたしには責任があるから、この人のそばにいていいんだ。支えたいと思っていいんだ」と思える。
この言葉がなかったら、わたしはびびって、逃げてしまっていると思う。
「出会った責任」という言葉がくれたのは、プレッシャーではなく勇気だ。隣にいる理由だ。
だれも、ひとりきりだと思いながら死にたい人なんていない。
そして、これまでひとりで死んでしまった誰かがいる人。それは、あなたに責任感が足りなかったということでは決してない。
抱樸が「出会った責任」を軽やかに言いのけられるのは、志が高いから、素晴らしい人たちだからではなく、その相手に職員やボランティアみんなで関わろうとするからだ。
だれもひとりで死なせない社会は、「みんなで」が肝だ。だからわたしは「希望のまち」をつくりたい。
だれかが苦しんでいることについて、自己責任なんか存在しない。そんな冷たくてとげとげした言葉を浴びせあう社会では、とても生きていけない。
だけど抱樸に心を寄せ、応援してくれているあなたから、「希望のまち」はすでに始まっている。
ここから、あなたから、わたしたちから、「出会った責任」を広げていきたい。
抱樸職員 有留佳乃
抱樸 活動35年"ひとりにしない"支援の集大成「希望のまち」 #クラウドファンディング #READYFOR https://readyfor.jp/projects/2023kibou