集中連載第二回「あんたもわしもおんなじいのち」一日密着取材篇(中) by 山塚リキマル
集中連載第二回 一日密着取材篇(中)
文:@rikimaru1990
三時を過ぎた頃には、やわらかな日差しも幾分ナリをひそめ、多少の肌寒さを感じるようになっていた。『希望のまち』建設予定地は、日本で最初の競輪場をふくむ大型複合施設・メディアドームのほど近くにあった。現在、そのだだっ広い空き地には『SUBACO』というプレハブ小屋が設置されている。外壁にはイラストレーターの黒田征太郎氏が、地域の子どもたちと一緒に描いた鮮やかな絵がかかげられており、そのまわりの小さな庭も相まって、なんだか“かわいらしい”雰囲気だ。この小屋はもともと、着工するまで空き地のままにしておくのは勿体無い、ということで作られたそうだが、イシイさんという抱樸の男性職員のかたにお話をうかがうと、牧歌的な雰囲気からは想像もできない試行錯誤の連続があった。
かつてここは、特定危険指定暴力団・工藤会の本部事務所があった場所で、人通りといえば競輪場に行くオッチャンぐらいのもので、通りには街灯さえない、かなり殺伐としたところだったらしい。そうした場所に、『希望のまち』のような福祉施設を作ろうとする胆力と行動力たるや凄まじいと思うが、とうぜん、近隣住民ふくむ市民全体の心理的距離感は相当なものだったようだ。この土地を“みんなの場所”として受け入れてもらうために、SUBACOはおおいに活用された。周囲に芝生を植え、バザーをやり、カフェやマルシェといった催しも定期的に開催するなどして地域交流をはかり、距離感を少しずつ縮めていったのである。ネーミングになぞらえて言うならば、いつの日か巣立ち、飛躍するための助走期間だ。昨年6月から続くその助走は、さまざまな思いをのせて今もなお加速し続けている。いつかやってくる、飛び立ちの瞬間のために。
19時半。濃紺の夜空に星が瞬きはじめるころ、小倉北区にある勝山公園へ炊き出しに参加させていただくべく赴いた。外はすっかり冷え込んでおり、ヒートテックを着込みボアジャンを羽織っても、張り詰めた寒気がやすやすと肌身を責めてきた。現場に到着するとすでに仮設テントがいくつか張られており、職員やボランティアのかたがたが忙しく動き回っていた。炊き出しというのは、衣服や毛布を渡したり、お弁当を配るものだと思っていたのだが、それだけではなかった。健康相談や法律相談、散髪なども行われていて、さらには市販薬も配布されていた。『風邪薬』や『腹痛』などと書かれたボックスにブリスター・パックが詰まったさまは、なんというか、巨大な合金で出来た塊のような、つめたくて重い“現実”の光景だった。テントの脇には大きなブルーシートが広げられており、そこにはたくさんの物資が並べられていて、路上生活者の方々、困窮状態にある方々がおのおの必要なものを求めていた。そして、パンやお弁当を配るテントには長蛇の列ができていた。それは、テレビなどで幾度となく見たことがあるはずの風景だった。でも実は、何も見ていなかったのだと思った。なにかを知っていることと、それを実際に感じることは違う。これほど寒い真冬の夜に、今日食べるご飯を手に入れるために並ぶひとがいる。そして、そのご飯を配ろうとするひとがいる。その光景は、僕がこれまで見過ごしてきた現実の光景のひとつだった。
ここに来る前、ショウタくんという、リサイクルショップ(Find)で働きながら抱樸の活動にボランティアで携わっている青年(ちなみに音楽家である)ととても仲良くなり、彼にあれこれ話を聞いていたのだけれども、『炊き出しってどんな感じなの?』という愚直きわまる質問をぶっつけたとき、ショウタくんは少し困ったような顔をしながら唸ったのちに、『言葉にできない感覚があるよ。でも、優しさはそこにちゃんと在る、みたいな』といった。そして果たして僕は、言葉にできない感覚に射抜かれていた。
炊き出しでも色んな人にお話を伺えたが、ホウジョウさんという女性職員が話してくれたことはとても印象的だった。ホウジョウさんはかつてアルゼンチンに行った際、国は貧しいけれども家族や近隣住民、街が密接な繋がりを持っていて、とても幸せそうに見えたことに衝撃を受けたのだという。そしていざ日本に帰ってきたとき、アルゼンチンよりも経済的には豊かなはずなのに、人びとがあまり幸せそうでないということに気づいて、それをきっかけとして社会福祉に携わるようになったのだそうだ。
『おいちゃんたちの孫になりたい、家族になりたいって思う。わたしはあなたがいなくなったら悲しいよ、わたしはあなたのことが大切だよって伝えたいんですよ。そしたらそれが繋がりになって、生きる理由になるんじゃないかって、わたしは思います』
また、炊き出しがひと段落したとき、抱樸の専務理事であるモリマツさんがボランティアの方を集めてお話をしてくだすったのだが、その中でもとりわけ心に残った言葉がある。
『私たちはこれから家に帰って寝るんです。そして寝るときに、これでいいのかって思うんですよ』
長年、この活動に最前線で取り組んでいるひとですら、いまだに迷っているのだということが、本当に、本当に衝撃だった。大切なのは『これでいいのか』という問いを持ち続けること、その問いにとどまり続けることなのだと思う。