被災から半年を迎えた能登復興支援の現状について
令和6年1月1日の能登半島地震からおよそ半年が経ちました。以前に比べて、新聞やテレビで能登半島の様子を目にする機会は減りましたが、復興支援は今も続いています。地震直後から最近まで計6回、共生地域創造財団を通じて、能登半島での復興支援ボランティアに定期的に通っている、第二作業所の茅野主任にお話を聞きました。
ー能登半島の震災ボランティアに参加されたきっかけは?
ニュースをみて、行かなきゃ!って気持ちが疼いたんですよね。何もできることはないかもしれないけれど、できることはやりたいなと思って行きました。
ーはじめて能登についたときの印象はどうでしたか?
想像を超えた状況だったので、とにかくびっくりしました。高速道路が半分崩れてなくなっていたり、家がぺしゃんこに崩れていたり。輪島の朝市があったところは焼け野原のようでした。元々海があったところが隆起して、岩肌がみえているのも衝撃でした。
ー能登では実際にどんな支援をされていたのでしょう?
ライフラインが整っていなかった最初の頃は炊き出しやカフェを行いました。輪島の重蔵神社を拠点にした衛生用品や食料品などの物資の配布は今も続いています。高齢者施設や児童養護施設などに必要物資を届けにいくこともしています。
ー最近の能登の様子について教えてください。
直近では6月6日から9日まで能登に行ってきました。ライフラインはだいぶ復旧しましたが、下水が使えないところがまだ多いです。家のお風呂に入れないので、近くの銭湯や、自衛隊が用意したお風呂を利用している人達がいます。最近まで避難所で暮らしていた人たちはようやく仮設住宅に移れるようになりました。道路も以前は崖崩れなどで通れないところが多くて、金沢から輪島まで移動に何時間もかかったのですが、今はいくつかのルートが整備されています。一方で、瓦礫の撤去作業などは全然進んでないという現実があります。
ー能登での支援で茅野さんが大切だと思っていることはなんでしょう?
ひとりひとりニーズが違うので、個別のニーズを聞き取ることが大事だと思っています。特に、在宅避難者に支援が行き届いていない印象があります。最近やっと、個別訪問を行って、ひとりひとりの困りごとを聞いて、弁護士に繫いだり、地域包括に繫いだり、生活再建のために必要な社会資源に繋げる支援を始めたところです。
ー能登の人達との関わりについて教えてください。
はじめに来たころは、打ち解けづらさもあったと思います。けれども、回数を重ねて通っているうちに、徐々に関係ができてきて、心を開いてくれるようになってきたように感じます。やっぱり継続って大事だなって思いました。最近は児童養護施設や障害者施設を訪問し、特技のギターで唄う活動もしています。被災地の皆さんが楽しめる企画やイベントが必要とされる段階に入ってきたなと感じます。
ー早い段階から復興支援に通われていますが、今感じていることはありますか?
3月までは色んな団体が能登にも来ていたのですが、4月以降、目に見えて減りました。ボランティアの数も全然足りていないです。報道は発災直後と比べてずいぶんと減ってしまいましたが、現地はまだまだ大変な状況です。ぜひそのことを心に留めて気にしてもらいたいと思います。私も、これからも通える限り、通いたいと思っています。(2024.6.13インタビュー)
▷只今、共生地域創造財団では「令和6年 能登半島地震 支援金」を募っています。下記リンク先に寄付先の情報などが掲載されておりますので、ご確認ください。(現在、ボランティアの募集は行っておりません)
https://from-east.org/invite-donations/