特別集中連載『あんたもわしも、おんなじいのち』第六回 哲学対話編 with 永井玲衣(後)
特別集中連載『あんたもわしも、おんなじいのち』
第六回 哲学対話編 with 永井玲衣(後)
前編から引き続き後編をお届けします。“人のために頑張る”ってなんだろう!!!という話が続きます。最近、僕は人のために頑張ってるだろうか?頑張ってる気もするし、しない気もする。てかそもそもそれってなんなんだ???一緒に考えよう!後半に続く!!!!
コーヒー『いま皆さんの話を聞いて思ったんですけど、“人のために頑張る”ってそもそもどういうことなんでしょうか。どんな具体例があると思いますか?』
らうちゃん『はい。私はこちらの方(うめだ)を伴走(支援)してきました』
一同『わかりやすい!(笑)』
らうちゃん『もうほんとにいっぱいケンカしたし』
うめだ『一緒におる時間が長いとケンカになるんですよ(笑)』
らうちゃん『私は、ほったらかすといなくなるんじゃないかってずっと不安だったんですよ。本当はそんな心配する必要なかったのかもしれないけれど。ひとのために頑張るって、相手のために私がしないといけない、って思い込むことなのかな』
きくちゃん『ボランティアを嫌がる人もいるよね、って話をしたことがある。こちらが助けようとしても、それが嫌で来なくなる人もいるよね、って。される方が嫌がってはいないかっていうことを、おれはずーっと考えてきた』
ためちゃん『私はね、ものすごく嫌いな人がおるです』
一同『(笑)』
ためちゃん『好きは好き、嫌いは嫌い、そういう自分の気持ちで生きていけたらいいけど、絶対嫌い! という人がおっても、それでも寄り添っていくしかないんですよ。でも、やらないかんと思っても、やっぱしモヤモヤモヤモヤ感じるよね、人生は』
コーヒー『嫌いな人っていうのはやっぱりいるんですよね。嫌いな人がいて、それでもその人のために頑張れるってどういうことなんでしょうね?』
きくちゃん『それができるのが伴走型支援じゃないの?』
一同『(笑)』
きくちゃん『なんぼ嫌いでも、皆でともにその人を助けてゆく、ともにその人と歩んでいくってことはできると思う。俺もこいつ気に食わないな、とかそういう人はたくさんいるよ。でも、ともに生きていくのがボランティアであり奉仕であると思う。一人じゃ出来ないことをみんなでやろうっていうのが伴走型支援だと、おれは思うよ』
コーヒー『それはうめださんが最初に言った言葉につながりますよね。私たちはみんな一緒に生きちゃってるんだ、ってところから始める。一緒に生きちゃってるから、どんな嫌いな相手でもその人のために頑張れる……ここ、なんか大事な感じがするな。皆さんはどう思いますか?』
うめだ『一緒に生きていくしかないんです。俺一人で生きていくぞ、っていう人なんかいない。大好きでも大嫌いでも、一緒に生きていくしかない。これが答えなんです。それは、抱樸の活動を通して思いました』
らうちゃん『嫌いな人でも一緒に生きていこうって思えるんですか?』
うめだ『思えるっていうか、一緒に生きていくんです。ボランティアでもさ、嫌いな人がいても一緒にやるし。まあ一緒に飲みに行ったりはせんけどな(笑)』
一同『(笑)』
ためちゃん『本当を言ったらね、自分ひとりなんよ。自分ひとりだけで、他のひとは関係ないんよ。それでもなんか寄り添っていく、頼っていく。本当はみんなね、自分自身の心は弱いんよ。自分ひとりで自分の心を慰めてる。本当はね、ひとりぼっちなんです』
きくちゃん『ボランティアとは自己満足。嫌いな人がいても手を取り合って一緒に生きなさいっていうのが抱樸の教えだけれども、それはなかなかできることではない。だからボランティアは自己満足。自分を満足させるために行うこと』
らうちゃん『でもね、私はボランティアを30年以上やっているから思うんですけど、自己満足じゃ続かないよ。自己満足でいる間は、ありがとうって言ってもらえないとかで怒ったり、そういう気持ちが起こってくるんですが、長〜く続ける人たちっていうのは、自己満足を超えて、理想を求めたりとか社会を変えたいとか思ってるんですよ。そういう気持ちがないと続かない。で、私、ためちゃんが“ひとりぼっち”なんていうのを初めて聞いてびっくりしたんですが』
うめだ『いちばんフレンドリーなのに(笑)』
らうちゃん『ねえ、いっつもニコニコしてるし。不機嫌なときもあるけど……』
ためちゃん『不機嫌なときが本当の気持ちなのよ。しゃべらないと思ったらしゃべらない。でも人間は気が弱いよね(笑)』
リキマル『でも気が弱いからこそ、ボランティアが続けられるともいうんですかね』
ためちゃん『本当に行きたくなかったらパタとやめるよね』
コーヒー『人のために頑張るってたしかに自己満足……じぶんが納得するために、みたいなのもあると思うんですけど、ためちゃんが言ったように“面倒臭いな”とか“嫌だな”とかもあると思うんです。だから、ちょっと無理しなきゃいけない。でも一方で“いい社会作りたい”とか、そういう気持ちもある。目の前にいて、一緒に生きちゃってるんだもん、というのがある。だから皆さんの話を聞くと、まぜこぜだなって思いますね』
きくちゃん『嫌だなって思ったら何もできないよね。俺は嫌だなって思うことがあったら、これは贖いだ、試練だって考える。“なんだかんだ言ってるけどお前はどうなんだ”って問われたら、何も言えない』
りきまる『けっきょく自分のことを顧みたら、あんま偉そうなこと言えないなって思うんですよね。たとえば僕とかルームシェアしてるんですけど、“最近おればっかり掃除してない?”とか、超みみっちいことを考えちゃったりするんですよ。でも絶対それってお互いさまで、こっちが知らないうちにストレス与えてたりすることもいっぱいあって。お互い様ってわかってるからこそ、ちょっと無理できたりするんじゃないかって』
ごぼてん『人を助けるって、“俺ら弱いよね”ってお互い分かり合うってことなんじゃないかって思うんですよ。たとえば僕らが人を助けたいって思っても、すれ違う人全員を助けたいとは思わないじゃないですか。だから“このひとには弱さがある”って感じた人を選んでるんですよね。自分の弱さをわかってるからこそ、人の弱さも見えるわけで。だからお互いの弱さをわかりながら助け合っていくっていうか……ボランティアっていうのは、“俺ら弱いよね”っていうことに気づこうっていうか、それをお知らせする活動でもあるのかなっていうのを、きょう思いました』
コーヒー『はい。じゃ時間になりましたんで、一旦ここで終わりましょうか! 哲学対話は時間が来たらいきなり終わります。みなさんお疲れ様でした、ありがとうございました』
うめだ『この次は一杯飲みながら(笑)』
ためちゃん『飲まなかったから半分しかしゃべれんかった(笑)』
(12月11日、SUBACOにて収録)