到達すべきところなどない
The Book of Life
6/14のテーマは
There Is No Place at Which to Arrive
J.クリシュナムルティの言葉を、
一日一ページ 、365日分に編集された本
「The Book of Life」を 一日分ずつやさしく翻訳し、
気功的な補足や解説を添えています。
和訳&補足解説 天野泰司
和訳
謙虚さを培うことなど、できるのでしょうか。
謙虚であろうとすることと、謙虚であることはもちろん違います。
あなたは、自分が到達したことを知りたいと思っていますね。
そのことが、到達などしていないことを示しています。
あなたは、ある特別な状態に到るために、
何ものにも邪魔されないところに到るために、
尽きることのない幸せ、永遠の祝福を見つけるために、
聴いているのではありませんか。
しかし、以前にお話ししたように、
ある境地に到達するなどということはなく、
学びつつあるという動的な状態だけがあります。
そして、これこそが生きているということの美しさなのです。
もし到達したとすれば、それ以上は何もありません。
みなさんはそこに行き着いてしまっている、
あるいは、たどり着こうとしている。
仕事だけではなく、すべての行動においてです。
だから、不満足で、イライラしていて、心がやつれているのです。
みなさんが到達すべきところなど、どこにもありません。
ただ、こうして学びつつあるということだけがあります。
知識を溜め込むことは苦しみにつながります。
すべての注意を注いで聴いているときには、
心が結果を求めることなどありません。
それは、心が次々に花開くように働いているからです。
川の流れのように、いつもいつも動いているのです。
そうした心の状態にあるとき、
自らの心の動きを意識することなど、全くありません。
目的を達成しようとする「私」、
いわば自我が持続することがないのですから。
J.クリシュナムルティ 訳・天野泰司
後天から先天へ
NPO法人気功協会運営責任者 天野泰司
先へ先へと急ぐ心は、いわば後天的に培われたもので
苦しみや悲しみの因となる。
むしろ、そうした何かを求めて進んでいこうとする心を離れて
元々の何もないところへ、
笑いに満ちた、先天の世界へ還っていく。
気功の真価はそこにあるのかもしれない。