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成果が求められる幼児教育

「小学校にあがって?」

幼児教育も随分と市民権を得てきたものだと思う。以前、保護者は周囲から「あんな小さな子を塾に通わせるなんて!」と陰口をたたかれたものだ。「教育ママ」「お受験」ととかく幼児教育は奇異な目で見られていた。そうした背景をよそに、世の中は次第に学力時代へと推移していく。高学力、高学歴を得るには幼いうちからの教育が欠かせないと、幼児教育がもてはやされてきた。高学力・高学歴・高収入という人生の方程式が崩れ、ご存じのように時代は新たな人間性を求め始めた。学力についても、知識偏重から思考力、創造力重視へと推移し、教育内容の質的変化が求まられている。今回、大幅に増量された教科書も、次回の改定では更に増量される。低学年であっても、教科書と付随する教科書ワークを時間内にこなす学力と処理能力が益々必要になってきた。

最近、我がラボスクールの入室問い合わせに、「幼児教室に通っていますが、文字の読み書きや数について不安で」という内容が急増している。幼児教育に変化が見られると言うより、子どもが年長を迎える辺りから保護者の不安が高まって来ているようだ。小学生をお持ちの保護者は、小学校入学時の子ども達の学力差を目の当たりにしている。この学力差を埋めるにはそれ相応の時間を有することを、保護者は理解されている。学校に上がってからでは遅すぎると言い切るほどだ。

一方、情操教育の分野でも幼児教育の必要性を説く指導者が増えている。例えばピアノ等の音楽分野で、音楽的感覚の重要性は勿論だが、現場では先生の指導を理解出来る能力、楽譜などを読む能力などが低下しているという。音楽的知性は、多重知性の中の一分野だが、他の言語的知性や身体運動的知性等に大きく影響されてくる。情操教育はこうした基礎教育の上にあると言われている。人間の知性は様々な所でその重要性や必要性を感じることがある。情操教育も同様なのだろう。

では、幼児期にどこまでの知的能力が必要なのだろうか。年中までに平仮名の読みが出来るのが理想だ。ただ、五十音表の平仮名が読めても意味がない。単語として読めなければならない。そして、いざ単語を読ませてみて気付くことがあるはずだ。ふた→ぶた→ぶった、清音・濁音・促音と平仮名には様々な表記がある。半濁音もある。拗音も長音もある。こうした指導は年中の1年間で出来るものではない。年中以前からの継続的な言語指導が必要だ。すると、年長は平仮名が「書ける」ことが目標となるだろう。今夏、ラボスクールで行われる年長の夏期講習には、保護者からの希望もあり、「書く」学習を中心に行われる。計算の系統的指導も同時に行われる。小学校入学準備という位置付けで行われる。

保護者からは、こうした具体的成果を求める声が次第に高まってきている。数年前には無かった保護者の声だ。「あそび」とか「刺激」とか、塾らしくない(?)という学習に対し曖昧な考えでなく、確かに学力という成果を求めている。幼児教育に見られる保護者の動きは、数年後小中教育の現場に現れてくる。私達、現場の教師も指導力を高めておかなければ対応が難しいだろう。ただ、幼児教育の現場では、こうした保護者からの学力を求める声に対して、系統的に文字や数を指導できる教室は少ない。また、指導者も非常に少ない。指導には専門性が必要だからだ。

先日、母の葬儀に関するお礼で、教え子の保護者に連絡をした。当時の教え子は皆立派に成長し、医療に従事する者、研究機関で実力を発揮する者それぞれが頑張っている事を伝えられた。やはり、「三つ子の魂百までも」のことばが頭に浮かぶ。嬉しいことに、もう一人の「おとうさん」として結婚式にというお言葉まで頂いた。ただ、まだその予定は無いという。急に父親の心境になり、心が動揺してきた。

2014/5/29


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川先生監修!

幼児教室・学習塾のキッズスクールアップル富ヶ谷
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