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心の平衡感覚「独り言」

「大人と子ども、大人になっても…」

定期的に近況報告をしてくれる教え子から連絡が入った。久々に再会できるのを楽しみにしている。こうして毎年直接会うことが出来る教え子、というより、私にとって年の離れた友人とも言える。彼らの成長は何より嬉しい。

 私は中学時代にあまり良いよ思える思い出がない。数学の女性教師の依怙贔屓(えこひいき)が許せなかった。出来ない生徒をバカにする。私は、テストの答案を白紙同然で提出した記憶がある。小さな抵抗だったのだろう。それまで良い先生に巡り会ってきた私は、高校受験までの期間とても嫌な時期だったことを記憶している。そんなとき、一人の友人がどういうわけかギターを貸してくれた。当時は不良(今では死語)の代名詞とまで言われた「エレキギター」だ。今でこそ様々な音楽シーンでは欠かせない存在となっているが、当時は目の敵にされていた。私なりの大人に対する抵抗だったのだろうか夢中で弾いた(?)。ただ、残念なことにドレミも解らない状態だった。

進学した高校は今までの重苦しい雰囲気とはまるっきり違った。友人も先生方も。それまでの雰囲気は一変した。自己責任ということを教わったのはこの高校、そして先生方からだった。私は剣道部に在籍していたが、友人から誘われバンドにも参加した。この趣味は今も続いている。このブログを書いている今も、バックにはルイアームストロングのライブがかかっている。そして、傍らには30年以上愛用しているギターがある。今日は久しぶりの休日、こうした雨の休日は音楽とコーヒーと決めている。こうして学生時代を振り返ると、自分自身様々な趣味を持っていたことに気付いた。今日は、その趣味の一つであるモーターレースの最高峰、F1グランプリが日本の鈴鹿で行われる。友人がHONDAのエンジニアで、あのセナや中嶋悟さんの担当だったことからよりモーターレースが身近になった。

子ども達と話しをしていると趣味ということばを持たないことに気付かされる。多様化している社会で、趣味は子ども達からして「おたく」と呼ばれるようだ。「まじめ」という褒めことばが、今では人をバカにすることばのように、人々の価値観の変化は次第に精神性を失っているように思う。だから、私は子ども達に話しかける。政治、経済、芸能、自然(地震・火山噴火・環境破壊・季節感)等々、勿論趣味の話しも、自分の夢も語る。時には卒塾生にギターやベースを教えることもある。我が教室が「音楽スクール」と化すことがある。こうして、全て自己責任という範囲内で行うことが教室の約束事になっている。子ども達には、趣味を持て、夢を持てと伝えている。大人になって、それが心の余裕を生み、心に安らぎを与えるとも。

 私は大人の価値観を子ども達に押しつける気はさらさらない。大切なのは人として正しい考え方かそうでないかの判断だけだ。今、この時代、大人達は心の平衡感覚を失っていないだろうか。北海道で起きた女子高生による祖母・母親殺害事件は起こるべくして起きたと思う。「厳しさ」と「躾」の双方を過剰に指導した場合、それは強制と強要になり、子どもを大人の支配下に置くことを意味している。価値観の押し売りは、押しつける側の自己満足で終わる。共に考える、共に悩むという一体感がない。現代社会では、こうした大人達の支配が見えないところで続いている。話しが解るという大人に見えて、実は支配欲が高い。今後、大人達に支配されてきた子ども達の反撃があちらこちらで起こるだろう。危機感が身体全体を襲っている。心に余裕がなくなった子ども達に、安らぎと彼らの居場所が必要だ。

2014/10/5


著:石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川教育研究所 代表 石川 幸夫

石川先生監修!

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