![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/165415540/rectangle_large_type_2_4cbd6f4d2810fedf12840cdd6d42ef8d.png?width=1200)
NPD/自己愛性の嫌な人は温かな養育と愛情が足りなかった人たち
僕がNPDや傾向がある嫌な人として呼んでいるのはほぼ「自己愛性パーソナリティ障害?かもしれないなんか嫌な人達」なのですが、この人達は元々の性格や育った環境のせい諸々のせいで健全な自己愛を持っていない。
適切に自己を愛せなくて心に穴が空いているから嘘偽りの自分や周囲からの承認で、それを埋める人達。
正しい自己愛とは、本来は完璧でなく多少ダメな自分でも「まあいいか」と受け入れ前向きに自分を認めること。それができないので基本的には心がつらい。だから加害に限らず人や諸々に依存もしやすい。人に加害をせず他責も強くない人は「なんだか生きづらい人」として心身を病むことも。
自己愛に歪みや問題があり人に酷いことをしがちな人も、人が離れて寂しいという感情は人並みにあることが多い。だから人が自らのせいで離れると寂しさから追ってくるのに、気に入った人に離れられるような人ほど「お前が悪い!」といいながらしつこく追う加害者とそれから逃げる被害者になりがちです。奴等から嫌われ懲りないない限りはずっと追ってきます。
時代で呼び方が変わった?
「アダルトチルドレン」「AC」とされている人達も言い替えれば、機能不全家庭育ちを理由に愛着障害?になり依存的傾向が強く人によってはNPDやBPDの傾向がある人なのかなと。これらはここでいうNPD傾向はある人で、どちらかと言えば加害度は高くない人等かも知れませんが場合によってはガッツリ加害者。どのみち自覚せねばこれからの人生も更にきついはずです。
本人の視点では何故かよくわからないけれどもどこも居心地が悪く、健全な自己愛もないためそこを補うためにも周りを下げたがる。そこで周囲に無礼失礼をしているから「この人とは仲良くしたいと思えない」ため。他責も強いと無自覚に「自分は可哀想」オーラが出るため周囲も付き合いづらいことも。
親となってわかること
僕も便宜上NPDっぽい子供だったとしますが、10代で自覚するまではアダルトチルドレンとされる色のほうが濃かったのかも?幸い周りに恵まれていたのでガチ孤独にはならなかっただけ。孤独はどんどん心を蝕みますので、その傾向のある人が心身内に籠ると予後はよくなさそうです。
配偶者と共に子供を育てて思うのは、子供の頃は親元で何をしてもなんだかんだで助けられて最悪な事態は免れつつも、やらかしたことの落とし前をつけたりやっちゃいけないことを学ぶ時期。
安全な大人の元で失敗をしまくりその失敗を元に学んでもらう期間なのだと。のびのび好きなことをするのも大事です。
過保護も行き過ぎた放任・ネグレクトも子の心にはよくなさそう
過保護だと失敗経験をそもそも親に摘み取られてしまい「自分は特別で大丈夫」といった悪い楽観を育てやすいように思います。なにをしても許される経験はその後に「なにをしても平気だ」という悪しき成功経験になっている。
逆のネグレクトも大切なことを親が教えぬまま社会にいるので無知になりがち。
NPDや自己愛性の異常者/加害的な人たちは親から愛着形成だけでなく、親から継承すべき大切な学びもないことが多いのではないか。
失敗経験がなければ悪い尊大を身に宿しますし、逆になんでも「お前が悪い」とされ過ぎれば萎縮し過敏になり結果的に他責にもなる。過保護もその逆も子供の心を歪める可能性があります。
育児をして思う
現代では核家族化で親の負担も昔より大きいと言いますし、母親だけで赤ちゃん〜子供の面倒を見続けるのは不可能だろうと夫婦での育児経験のある筆者も思います。そもそもこんな無理をさせていたら適切な養育なんてものがそもそも難しいのです。
子供達を預けられる施設が増えたり、社会的な育児支援で親御さんの負担が減らせて親子で暖かな時間を多く送れるのも「次世代の子どもたちの健康なこころ」を育むのに大事ではないでしょうか。