地頭が悪い僕にとって、中学受験は救いだった
僕は一昔前まで、中学受験は地頭で結果が決まると思っていた。
小学校の授業より遥かに上級のことをやる中学受験に対して、大抵の小学生は太刀打ちできない。また、まだ小学生の子供たちは当然学習年数が少なく、個々の努力による積み重ねの差も当然少なくなる。その状況では、高校受験・大学受験と比べて、後天的な努力量よりも地頭の出来で結果がわかれてしまう。そう思っていた。
あるいは、僕の願望であったのかもしれない。僕は中学受験をして、それなりの偏差値の中高一貫校に合格した。しかし、中学・高校と勉強をサボってしまい、大学受験の結果はいまいちだった。そんな僕にとって、自分は中学受験で成功したから地頭がいいんだという理論は、中学以降落ちぶれた僕にとって救いになっていたのだろう。いつしかそれは僕の支えになっており、中学時代には、地頭が良いが校風が合わないという他責思考へと変わっていた。
しかし、それは間違っていた。
双子には二種類のものがある。ひとつは一卵性双生児、これは受精卵が何らかの要素で二つ(もしくはそれ以上)に分裂し、それが双子になったものだ。元々一つの受精卵なので、生まれた双子は全く同じ遺伝子を共有している。もうひとつは二卵性双生児、これはもともと二つの受精卵があり、それがそのまま大きくなって双子になったものだ。言うなれば、たまたま同じタイミングに生まれた兄弟のようなものだ。そのため、両親が同じなので遺伝子はある程度似ているが、普通の兄弟と同じように個々の遺伝子は違う。
世の中には、一卵性双生児と二卵性双生児の差を利用して、遺伝と環境の影響の差を確かめる方法がある。それが双生児研究法だ。先ほど述べた通り、一卵性双生児は全く同じ遺伝子を共有しているが、二卵性双生児はそれほど遺伝子を共有していない。つまり、一卵性双生児と二卵性双生児を追跡調査して、学校の成績や収入などの任意の要素の出来を記録すれば、どのくらい遺伝が行動に影響を与えるのかを調べることができるのだ。
そして、それを研究した結果が、以下の記事のようになる。
記事によると、子供の頃の知能は40%程度しか遺伝子が関与しないが、大人になってからはその値は65%まで跳ね上がる。収入に対しても、年を経るごとにどんどん遺伝子が介入してくる。45歳時点の収入は、本人の遺伝子が60%ほど決定するらしい。
人間の社会的成功に対して、遺伝子は密接にかかわってくる。しかも、年を経るごとに、自分の遺伝子からの呪いはどんどん強くなってくる。そしてそれは、冒頭に述べた中学受験は地頭で左右されるという理論を、真っ向から否定するものであった。
考えてみればそれは当たり前だった。子供は成長し続けていき、だんだんと親元を離れていき、活動の軸を同世代のコミュニティへと移していく。その過程で、親が介入することも次第に少なくなり、本人の実力で勝ち負けが決まっていく。成人してから親ができることは数少ない。
中学受験のように、親と塾が子供の勉強をみっちりと指導するようなことは、高校以降の受験ではほとんどない。それゆえ、本人の体力、頭脳、集中力、粘り強さ、興味関心などが、中学受験よりもはるかに関与する。そして、三つ子の魂百までとあるように、恐らくそれは遺伝子によって基本は決まるものなのだろう。
思えば、中学受験の時の得意科目は暗記科目の社会で、次が国語。理系科目で思考力が必要な算数と理科はうっすらと苦手だった。夏休みの時は、父親が仕事を休んでまで付きっ切りで指導してくれた。そもそも、中堅以下の中学校だったら、基礎がある程度できていたら合格点は取れる。ある程度の偏差値の学校以下は、たとえ子供が優秀でなくても、両親の努力によって入ることができるのだ。
高校時代からは、理系に進んだにもかかわらず、理系科目がうっすらと苦手だった。特に化学がちんぷんかんぷんで、定期テストはいつも赤点だった。数学と物理はある程度できたが、模試では今までやったことのある問題しか回答できず、初見で思考力が必要な問題を鮮やかに解く友人に嫉妬していたものだった。
そして、親元から離れた今、大学にいくことすらままならずにいる。サークル活動やバイトなどをしていないのに、授業を受けるのもやっとだ。中学時代にうっすら思っていた、僕は地頭が良くて環境が悪いという他責思考は、幻想であったようだ。
つまり、僕は環境が良かっただけの、ただの無能だったのだ。
最近になって、いかに自分の中高時代が恵まれているのかを悟った。
自分の通っていた中高一貫校は、それなりに偏差値が高く(四谷大塚で60程度)、通っている生徒も皆優秀だった。そして、それに引っ張られて、自分も何とかそれについていった。自分が公立中学に入っていたら、周りに流されて行って、高卒のまま就職していたかもしれない。
さらに、先生たちも何とか生徒をいい大学に行かせようと、熱心にサポートをしていた。僕が何とか人並みに数学ができるようになったのも、その先生たちのおかげだ。おかげで、僕は一浪をしたが、何とか国公立大学の理系学部に滑り込むことができた。
中学受験について、地頭の良さで決まるものだと思っている人々もまだまだ多い。しかし、実際は逆なのだ。中学以降子供が自立していくにつれて、子供の能力で勝ち負けが決まってしまう。高校受験や大学受験よりも中学受験のほうが両親ができることが多く、子供の能力によって結果は決まらない。やる内容も高校以降と比べてあまり抽象的ではなく、基本的なパターンさえ学べば中堅くらいの中学であれば受かる可能性もある。
中学受験はそれ以降の受験と違って、優秀でない子もそこそこの結果を収められる。そして、それは僕にとって、間違いなく救いであったのだ。
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