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【超習慣】新年、歩くと人生が変わる

新年、あなたの人生は「足元」から始まる──
NewsPicks記者が「魔法の靴」との出会いをきっかけに気づいた、人類最古で最強の「歩く」という習慣。姿勢も体調も、そして仕事も劇的に変わる、その魅力に迫ります。

2024年にNewsPicksがお送りしたオリジナル特集「歩く」は大反響を呼びました。特集には入り切らなかった内容や追加取材をもとに2025年、書籍化が決定。2/4発売の新刊『歩く マジで人生が変わる習慣』(池田光史著)より「はじめに」を一足早くお届けします。


なぜ人は歩くのか?

きっかけは、1つの靴との出会いだった。
それはいわゆる「歩きやすいスニーカー」ではなくて、「足の指が自由な靴」。2年ほど履き続けると、それまでファッション性だけで購入を決めてきた他のスニーカーや革靴が履けなくなった。

歩くのってこんなに楽しかったっけ?

身体も頭も、常に軽い。もっと履き物を科学したい。道具を哲学したい。

これは僕だけの感覚なのか、それともサイエンスされている世界なのか、好奇心が止まらなくなった。そもそもヒトは本来何のために歩いていたのだろう……人類は地球上でも特異な移動能力を持つ動物だ。効率的な二足歩行は、驚異的な長距離移動を可能にしてきた──それまで何気なく歩いていた、その行為そのものに奥深い世界があると気づき始めることになる。

そうした好奇心や疑問は、僕だけが抱えていたものではなく、実は西洋では先んじて大きなムーブメントになりつつあることもわかってきた。これは企画になるな……というわけで、NewsPicksで特集を組んだのが2024年7月のことだ。経済メディアであるにもかかわらず、一見すると経済とはまったく関係なさそうなこの「歩く」というテーマは、想像していた以上に受け入れられた。最終的に十数万人に読まれ、靴を買い換えたり、歩くことを見直したという人々から直接の声も多数届いた。やはりこれは僕だけの感覚じゃないかもしれない、そんな確信が強まっていった。

なぜ、これほど反響があったのか。それはおそらく、特集では書ききれなかったことと、深く関係しているように思う。

文明やテクノロジーの進化は、果たして僕たちを幸せにしたのだろうか──?

この問いは、なぜこれほど自分が「歩く」ことにのめり込んでいったのか、ずっと考えてきた過程でたどり着いたものだが、2014年に歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリが世界的ベストセラー『サピエンス全史』※1において投げかけた壮大な問いでもあった。そしていま、人々の中にも潜在的な疑問が湧き始めている、ということじゃないか。

※1 ヘブライ語版は2011年にイスラエルで出版され、2014年に英語版が発売された

ハラリの答えはNOだったが、文明の異変に気づき始めていた識者はハラリだけではない。かつて取材の際に、かのピーター・ティールも同じ問題意識を持っていることを知った。彼もまた、テクノロジーの進化が人類を幸せにしたかどうか断言できずにいるという。それは「まだわからない」と。

振り返れば、経済記者としてビジネスの最前線を長年取材してゆく中でも、特に近年、この文明の行方のことが、ずっと頭にひっかかっていた。最も印象に残っているのは、のちにChatGPTを生み出した、天才たちの真実を追っていたときのことだ。

舞台は、OpenAIの共同創業者、イリヤ・サツキーバーが所属していたカナダ・トロント大学のとある研究室。爆発的なAIの進化の源流となったディープラーニングモデルの真の発明者、アレックス・クリジェフスキーという人物の存在を突き止め、NewsPicks取材チームは世界初のメディアインタビューを実現した。彼はこのモデルを生み出して以降、研究室チームごとグーグルに引き抜かれ、わずか10人程度だったグーグル・ブレインの最初期メンバーとして、とりわけ画像や自動運転の領域でAIの爆発的進化を牽引している。

そのグーグルを後にひっそりと去った理由について、ディープラーニングモデルの発明者は僕にこう語った※2。

「ただ面白くなくなった。幸せじゃなかった。まあ、いまのAI時代を作ったのは僕だ、とも言えるかもしれない。では、それが社会をよくしたかといえば、難しいですね。
病気の発見や自動運転など、あらゆる種類のAIが生まれ、物事を改善しています。一方で、戦争に使われることもあるでしょう。それは社会を悪い方向に導くかもしれません。新しいテクノロジーは、常にそれをどう使うかに依存しますから」

果たしてハラリの問いから10年。世界はある一線を越えた。2024年、AIがついに人類のIQを超えた※3のだ。

※2 池田光史.【世界初独占】「AIの時代」を作った男、初めて口を開く. 『AIカナダ 』#01. NewsPicks. 2019年10月21日. その後、この研究室の主だったジェフリー・ヒントンは2024年にノーベル物理学賞を受賞した

※3 森川潤. 【ミニ教養】とうとうAIが人間のIQを超えた. NewsPicks. 2024年3月9日.

人間には数々の驚くべきことができるものの、私たちは自分の目的が不確かなままで、相変わらず不満に見える。カヌーからガレー船、蒸気船、スペースシャトルへと進歩してきたが、どこへ向かっているのかは誰にもわからない。私たちはかつてなかったほど強力だが、それほどの力を何に使えばいいかは、ほとんど見当もつかない。(中略)自分が何を望んでいるかもわからない、不満で無責任な神々(筆者注:人間のこと)ほど危険なものがあるだろうか?

──ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

そしていま、人間が得た力は、もはや人間の掌中から離れようとしている。人間にしかできないと思われていたことが、ことごとく破壊されていくのを目の当たりにしながら、ハラリの問いがいま、改めて投げかけられている。僕たちはなぜ働き、経済活動をこなしているのだろう。経済の発展は人々が豊かになっていく過程だったはずだが、少なくとも僕は、テクノロジーの進化や未来にはワクワクする一方で、活力が満たされ切らない自分と直面する日々が続いていた。
それはおそらく、テクノロジーの進化の恩恵を多分に受けながら、頭と手ばかりを使うだけで済むことが増えていき、気づかぬうちに全身を使えていない日常に陥っているからじゃないか。だから取り憑かれたように、奪われつつある本来の身体性を取り戻そうとするかのように、ときに山に入ったり、自然の中を歩いたり、あるいは毎日のように多摩川の河川敷を歩いているんじゃないだろうか。

AIであれモビリティであれ、そんな僕個人の危機感などお構いなしに目まぐるしく進化し続けるだろうし、いつだってテクノロジーはその時代の人類のあり方を決めてきたことも分かっている。しかし同時に、その反動や揺り戻しがどこから起きるのかが僕の関心事になった。

そして、テクノロジーや経済の未来は、いよいよこの視点、つまり人間の身体性という視点を抜きにしては語れない時代に突入していくんじゃないか、と直感するようになった。人間の幸せは、動物として快調かどうかにかかっている。その生きた心地というものは本来、身体感覚と密接に関わっている。それをあまりにも置き去りにした、身体性を奪ってゆくばかりの社会システムは長くは続かず、やがて綻びが生まれ、辻褄が合わなくなると思うからだ。

第一、人間の生き物としての設計は、少なくとも20万年は変わっていない。ハーバード大学の医学准教授ジョン・J・レイティが指摘するように、狩猟採集時代から、人体は特段のアップデートはなされていないのだ。だからこそ、テクノロジーの進化とパラレルに、まるでコインの裏と表のように、身体性をいかに取り戻すかが、もう一つの大きなイシューになっていくんじゃないか。
それが起こるとしたらどこからなのか、そのヒントは人類の歴史を振り返ることから始まるのかもしれない、というのが好奇心の出発点だ。言い換えれば、「文明の発展とともに人類が失ってきたものは何か」ということだ。

おそらくそれこそが──人類を人類たらしめた「直立二足歩行」ではないだろうか。

そう、僕たちは歩かなくなった。
歩かなくてよくなった、と言い換えることもできる。歩く以外のモビリティ(移動手段)は、一時期の熱気こそ落ち着いてはきたものの、これからも進化し続けてゆくだろうし、第一、移動しなくてもできることは増え続けている。だが、モビリティというテクノロジーを語るときも、未来都市を描く上でも、この人間自身によるモビリティという本質的な視点が、すっぽり抜け落ちていることが少なくない。

「ウォーキングは身体にいい」みたいな、ありふれた健康書を書こうと思ったわけじゃない。単なるエクササイズとして捉えるだけでは、結局はブームで終わるかもしれないし、そもそも歩くことはブームであってはならない。たとえば、歩いても痩せるわけじゃない。詳しくは本編に譲るが、少なくともダイエットしたい人にとって本書は期待外れの内容になるはずだ。

たとえば僕は「足」のことに興味を持った。かつて天才レオナルド・ダ・ヴィンチが解剖医として最も注目していたのは「足の構造」だったと言われている。そのことにあまりに無頓着だったと気付かされたのは、「履き物」というテクノロジーを深く掘り下げていったときだ。
靴は、確かに人類史におけるイノベーションだった。だが、いつからか僕たちの身体性を奪ってきた──そう言われても、ピンとこない人のほうが多数派だろう。僕も今回の取材を進めるまでは、ほとんど知る由もなかった。あるいは都市化という現代社会の中で、気づかぬうちに人間がいかに飼いならされ、生きる力を削がれてきたか……そんな取材の道を歩んでいくことになる。

だから文明を捨て、狩猟採集時代に戻ろう、などと言うつもりもない。決して原理主義的な、非現実的なメッセージを主張したいわけではないのだ。
ただ、気づけば歩かなくなっているという現代社会の仕組みに無自覚だと、現代人はなぜだか疲れている、だから運動不足を解決しよう──そしてそのエクササイズメニューはあらゆるマーケティング競争の下で展開され、ブームの波とそのサイクルに振り回される──という無限ループからは、永遠に脱却できない。
つまり、おそらく根本的には何も解決しない。

もっと抜本的に、人類700万年の歴史の時間軸を振り返って、産業革命後というわずか0.01%の近現代という短期間のうちに、急速に僕たちが失いつつあるもの──でも、本当は失ってはいけないはずのもの──を追いかけた。

本書を読み終えるころには、きっと共感してもらえると願いながら、この旅を始めようと思う──歩くことは、尊いことだ、と。

執筆:池田光史
編集:的場優季
デザイン:黒田早希