ビジネス「マン」のためのフェミニズム(渡辺由佳里)#5
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渡辺由佳里|Yukari Watanabe エッセイスト、洋書レビュアー、翻訳家。1995年よりアメリカ在住。ニューズウィーク日本版、Cakes、FINDERSなどでアメリカの文化・政治経済に関するエッセイを連載中。「洋書ファンクラブ」主幹。著書に『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』『トランプがはじめた21世紀の南北戦争』『ジャンル別 洋書ベスト500』『どうせなら、楽しく生きよう』他。訳書に ソルニット『それを、真の名で呼ぶならば』 、スコット&ハリガン『グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ』他。
NewsPicksへの寄稿をためらった理由
「フェミニズム」に関する本を紹介してほしいという依頼があったとき、かなり悩んだ。NewsPicks購読者の82%は男性だということなので、たぶん「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉そのものにある種の抵抗があると思ったからだ。
「フェミニズム」や「フェミニスト」という言葉には、スティグマ(負の烙印)がつきまとう。私が暮らすアメリカでもその傾向はあるのだが、ソーシャルメディアを観察していると、日本では「ポリコレ棒で男を殴りつける活動」とか「男嫌いの女」といった解釈をしている人がかなりいるようだ。
私がツイッターでフォローしている人のほとんどは、男女にかかわらずフェミニズムをよく理解しているし、日常生活でも実践しているようだ。けれども、たまにリツイートなどでTLに紛れ込んでくる(自称)フェミニストの意見には、「これでは誤解されても仕方がない」と思うような誤解や知識不足がある。
それだけでも困ったことなのだが、「フェミニズムはポリコレ棒」と決めつけている人たちが参戦し、ネット上での不毛な討論が人格攻撃に発展している。
これは誰にとっても有害だ。ネットでの意見交換が互いを理解するための討論に発展することはまずないし、たいていは自分と異なる意見を持つ者への憎しみをつのらせるだけだから。
こういった争いが起こるのは、ほとんどの人が「自分は正しい」と信じているからだ。その人が直接関わっている世界では、たぶんそれが「常識」とみなされているのだろう。でも、立つ位置が変われば、そこから見える世界も変わり、「正しい」ことも変わる。それぞれに見えている世界が異なるのだから、考えていることがすれ違って当然なのだ。
私がアメリカの大統領選を現場で取材するときにしみじみと感じるのがこの「見える世界の違い」だ。私は2016年の大統領選予備選の時には共和党と民主党の複数候補の集会に行き、民主党候補が乱立した2020年の予備選では20人以上の候補の集会に足を運んだ。
支持者と一緒に列に並んでお喋りをすると、それぞれの人が自分の社会経済的立場、属する教会、ふだん交流する人々などにより社会観を作り上げていることがわかる。反論したくても我慢して彼らの話に耳を傾けると、「だからこの人はこういう意見を得るようになったのだ」ということが理解できるようになる。
彼らは、私が立っている場所からは見えないものを見せてくれる貴重な人びとである。それが理解できれば、たとえ私と異なる考え方をする人であっても、意見を尊重し、良好な人間関係を持つことが可能になる。
FT&マッキンゼーが選んだベストビジネス書『INVISIBLE WOMEN』
でも、アメリカの選挙集会まで遠征せずとも、こうした機会を持つことはできる。それが読書だ。良い本は、遠くまで足を運ばずして、読者がふだん立っている場所からは見えない風景を見せてくれるものだ。
見えていないことを説明し、理解してもらうのに役立つのが統計などの数字だ。
『Invisible Women』は、女性差別のもとになっている認知バイアスと、その認知バイアスを助長しているデータバイアスについて具体的な数字を使って解説した、読み応えがある本だ。
著者のキャロリン・クリアド・ペレズは、フェミニストとしても知られているが、そこに至った経歴が面白い。
イギリスの大手スーパーマーケットチェーンのセーフウェイのCEOの父と、国境なき医師団で人道的任務を果たした看護師の母との間に生まれたイギリス人で、生誕地のブラジルからスペイン、ポルトガル、台湾、オランダなど多くの国で子供時代を過ごし、ロンドンの大学で歴史を学んだが1年で中退。その後オペラにはまりこんで歌手になるトレーニングを積み、デジタルマーケティングの業界で働き、オックスフォード大学で言語と文学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで行動学とフェミニスト経済を学んだというたぐいまれな経歴を持つ。
その多様な体験と幅広い分野への興味と知識が本書にも反映している。
ペレズによると、長い歴史の間、「ひと」のデフォルトは「男性」だった。だから、「ひと」に関するデータは、ほとんどが男性のものである。人類のほぼ半分を占める女性が抜け落ちているデータにはバイアスがあるわけだが、そのデータを集めたり、処理したり、精査したりする立場にある者が男性なのでバイアスに気づかない。
たとえば、先進工業国の人々の多くが「能力主義は有効だ」と信じている。だが、女性が男性と同じことをすると、言葉遣いに気を付けろとか、譲歩しろと言われ、ネガティヴな人格批判をされることが、アメリカのIT企業での調査でわかった。その結果、圧倒的に男性が多い職場になっても「能力主義」で片づけられることが多い。「能力主義」とみなされているものは、実際には「能力主義」ではないことが多いのだ。
能力を判定するときに男女の差がわからないようにしたらどうだろう? ペレズは「The Myth of Meritocracy(能力主義の神話)」という章の冒頭で、ニューヨーク・フィルハーモニック(NYP)の興味深い例を紹介している。NYPのメンバーは1960年代くらいまではほぼ男性のみだった。だが、1970年代に訴訟を起こされ、演奏者が見えない「ブラインドオーディション」を導入したところ、新しく雇用されたミュージシャンの半数が女性になったのだ。ほぼ終身雇用なのでメンバーの入れ替わりには時間がかかっているが、それでも現在は45%以上が女性になっているという。
また、医学データにもバイヤスがあるという。男性と女性では同じ疾病でも症状が異なることがあるし、薬の効き方も異なることがある。使っているデータが男性をデフォルトにしたものだとしたら、女性の健康に深刻な影響を与える可能性がある。
ちりばめられた事例やデータが面白いので、男性読者も「なるほど!」という気づきがあり、きっと誰かに「これ知っていた?」と語りたくなる本である。フィナンシャル・タイムズ/マッキンゼーの2019年のベストビジネス書に選ばれたこの書が邦訳され、多くの人に読んでもらえることを願っている。
「ヒラリーは女性の権利ばかり語る」というウソ
『Invisible Women』を読んでいるときに気づいたことがある。アクティビストのレベッカ・ソルニットがエッセイ集『Call Them by Their True Names: American Crises (and Essays)』(『それを、真の名で呼ぶならば:危機の時代と言葉の力』)の中で書いていたことと一致している部分があるのだ。
それは、2016年の大統領選挙のキャンペーン中に際立った、ヒラリー・クリントンに対するジェンダー差別と認知バイアスだ。
バーニー・サンダースは、大統領選直後に「誰かが『私は女、私に投票して』というのでは十分ではない。違う。それだけじゃだめなんだ」と「アイデンティティ・ポリティクス」を批判した。「だが実際には、クリントンはそんな発言をしたことはない」とソルニットは指摘する。
また、サンダースや主要メディアはクリントンが労働者を無視してきたと批判したが、ディヴィッド・ロバーツというジャーナリストがクリントンの選挙運動演説について単語の登場頻度(ワード・フリクエンシー)分析を行ったところ、彼女がもっとも多く語ったのは、労働者、職、教育、経済についてだった。クリントンが最も多く語ったのは、彼女が無視していたと非難されたことそのものだったのだ。
クリントンは職について600回も語ったが、女性の人権や人工妊娠中絶に関してはそれぞれ数十回ほどしか触れなかった。「女性というジェンダーについて喋るのをやめられないのは彼女以外の誰もかれもなのに、クリントンはそればかりを語る女というイメージを描かれたのだ」とソルニットは振り返る。
このエッセイでソルニットが書いていることは、大統領選の取材のときに私が感じたフラストレーションそのものである(もちろんソルニットのほうが何十倍もうまく説明してくれているのだが)。
#MeTooの急先鋒となった男性ジャーナリスト
ところで、アメリカ人の夫の家族の中で私が一番よく衝突するのが、ウォール街の投資銀行家として30年のキャリアを持つ義弟である。
出会った頃にまだ大学生だった彼は、(資本主義礼賛の小説として知られる)アイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』にぞっこん惚れ込んでいた。私の不安は的中し、義弟は、イラク戦争賛成で、トランプ大統領支持の超保守になってしまった。険悪になるのが嫌なので討論は避けたいのだが、私が家族のリベラル代表だと思われているようで、しょっちゅう議論を吹きかけてくる。去年のクリスマスでは、いきなり「#MeTooは行きすぎだと思わないのか?」と質問された。しかも、全員がテーブルについているディナーの途中だ。
私が持ち出した話題ではないのだが、重要なことなので、簡潔かつ真摯に答える努力をした。ところが、義弟は私の答えを最後まで聞かず、「男のキャリアと人生を破壊するための女の仕返し」だと大声で持論を展開する。そこで私は、「そのテーマでは素晴らしいノンフィクションが多く出版されているので、私の意見を聞くより、それらの本を読んでください」と何冊か本を勧めた。
そのうちの1冊が、ジャーナリストであるローナン・ファローの『Catch and Kill: Lies, Spies, and a Conspiracy to Protect Predators』だ〔邦訳は文藝春秋より今秋刊行予定〕。
日本では、伊藤詩織さんの勇気ある活動で#MeToo運動が注目されるようになったが、アメリカでの#MeToo運動の転機は、ニューヨーカー誌に掲載されたファローの記事だったと言っても過言ではない。
アカデミー賞受賞作や大ヒット作を数多く産み出してきたハリウッドの大物プロデューサーであるハービー・ワインスティーンが、過去30年に女優や従業員に対して「性暴力」や「セクシャルハラスメント」を行ってきたことを世に知らしめた最初のスクープは、2017年10月5日にニューヨーク・タイムズ紙に掲載された告発記事だった。だが、その5日後の10月10日にファローがニューヨーカー誌に載せたのは、ワインスティーンが13人に性暴力をふるい、3人をレイプしたという、さらに踏み込んだ内容だった。
これをきっかけに、ハリウッドだけでなく多くの業界の大物たちが次々と告発されてゆき、報道業界の重鎮も職を追われた。ワインスティーンの被害者のリストはまたたく間に80人を超え、ついにハリウッドを追放された。(2020年3月11日には23年の懲役刑を言い渡され、直後に心臓発作で入院した)。
『Catch and Kill』は、女優のミア・ファローと映画監督のウディ・アレンの息子(ファローの元夫であるフランク・シナトラの息子という説もあるが)であるファローが、ニューヨーカー誌の告白記事を書くに至った経緯を書いたものだが、まるでスパイ小説のようなのだ。テレビ番組で割り当てられた取材で真相を掘り出し始めたファローに、テレビ局そのものがプレッシャーをかけ始める。そして、ワインスティーンが雇った元スパイから尾行されるようになり、身の危険まで覚えるようになる。この本を読むと、#MeTooが女性のみのものではないことが理解でき、この運動の社会的な意義をしみじみと感じるようになる。
フェミニズムは男性の重荷も降ろしてくれる
義弟はこういうことを説明してもなかなかわかってくれないのでほぼ諦めているのだが、彼の兄である夫は、私が出会った33年前からフェミニストだ。同じ親に育てられたのに、どうしてこれほど違うのか不思議だが、「偏見がない(少ない)」と「好奇心旺盛」という夫の生まれつきの性格が影響しているのだろう。この性格のおかげでジェンダーや人種に関係なく多様な友達ができるので、彼らからの影響でさらにこの性格が強化されてきたと推察している。
私の夫が最初から理解していたように、フェミニズムは女性を優遇する思想や活動ではない。ジェンダー間の格差をなくし、ジェンダーに関わらずすべての個人が平等な権利を行使できる社会をめざすものだ。
とはいえ、男女平等が進んでいるように見えるアメリカでも、ジェンダー間の格差をなくし、女性が男性と同じものを手に入れるのは困難だ。それについて正直に書いているのが、アン=マリー・スローターの『Unfinished Business』(『仕事と家庭は両立できない? :「女性が輝く社会」のウソとホント』)だ。
著者アン=マリー・スローターは、ヒラリー・クリントン国務長官のもとで国務省政策企画本部長を務めた国際政治学者である。ハーバード大学とプリンストン大学の教授を務めた後に女性として初めてのプリンストン大学ウッドロウ・ウィルソン公共政策大学院の院長に就任した人物で、結婚し、子供も2人いる。つまり「すべてを手に入れた女性」の代表的存在だった。
けれども、仕事と家庭の両立で大きなつまずきを経験して、それまでの信念に疑問を抱くようになった。気づいたことのひとつは、妻のほうが高収入の男性や専業主夫男性が受ける差別だ。だから男性は家事や育児に専念したくても、なかなかそれを選べない。男性に対してもステレオタイプの重圧があることを本書は指摘しており、男女両方を楽にするフェミニズムの考え方を提案してくれる良書である。
どの社会でも、男女はどちらも(LGBTQも含むが、ここでは焦点がずれるのであえて男女にさせていただく)社会からジェンダーの役割を押し付けられている。そのために特有の苦痛を感じている。「家族を養う稼ぎ頭」の役割は男性にとって重荷だろうし、どんなに努力しても男性と同等の機会や報酬を与えられない女性は毎日のように悔し涙を流す。
日本は海外との比較でもジェンダーギャップが大きいので、「自分だけが苦労している」と感じている人は他の国よりも多いのではないかと思う。2019年のジェンダーギャップ指数では、調査対象になった世界153カ国のうち日本は121位だった。このままだと、男性に見えている世界と女性に見えている世界のギャップが大きすぎて、互いの視点など理解できなくなるだろう。そして、男女どちらも相手を恨めしく思うようになるだろう。
「理解してほしい相手」がいる人への提案
日本の知人によると、電車の中でいきなり女性や若者に怒鳴りつける中高年男性が増えているらしい。それも「自分だけが損をしている」という苛立ちが噴出しているように思えてならない。
この閉塞感を打破するために、ひとつ提案がある。一番理解してほしい人と読書会をやってみてはどうだろう? 読んでから、「感想」として本音を交わしてみるのだ。これまで言えなかったことや、わかってもらえなかったことを、理解してもらえるきっかけになるかもしれない。
わが家では有効なので、ぜひお試しあれ。
【NewsPicks Publishing Newsletter vol.5(2020.3.27配信)より再掲】
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