デジタルサイネージの愉楽とその背景
前回「デジタルサイネージの快楽」と題して記事を書いたが、折良く#品川駅前で一番心傷付けた奴が優勝というハッシュタグがツイッターでトレンド入りしていた。
この品川駅の光景が象徴的だが、リースマンの『孤独な群衆』を想起させるのである。伝統や権威から浮遊した根無し草のような私たち現代人は、リースマンの言う他人指向型となる傾向がある。
テレビは今や権威となっていて押し付けがましいし、スマホの小さい画面を眺めるのは集中力が必要でずっと見ていられない。だけど、孤独に疲れた私たちが、ふと目が寂しくなった時に気楽に眺められるのがデジタルサイネージなのである。
リースマンは内部指向型の心理機構をジャイロスコープにたとえたのに対して、他人指向型の心理機構をレーダーにたとえた。目的意識を持って対象にフォーカスするジャイロスコープに対して、既読スルーに怯えるように他者心理に合わせるレーダーというのはまさに現代人的な心理機構である。
スマホのチェックに疲れた受動的な心理機構の隙間にスーッっとデジタルサイネージの画面が心地よく入ってくるのだ。しかも、デジタルサイネージの中には視聴者の属性に合わせて表示内容を変えるものもある。そこまで来ると心地よさを脅かすところがあるが、その辺りは次回触れる予定である。