見出し画像

田園の喧噪-ある「スラップ訴訟」の顛末

ある日、突然、裁判所から訴状が届いて被告になる。そんな、ばかな? と思いますよね。でも、そんな出来事が、静かな田園の暮らしに起きたのです。
その顛末をまとめてみました。


突然、被告になってしまいました

2023年4月、喧噪の始まりは突然やってきました。
Tさん宅に東京地方裁判所から、「第1回口頭弁論期日呼び出し状及び答弁書催告状」が届きました。
届いたのは、2023年4月6日で、太陽光発電事業者、N社からの訴状。
「裁判所」「呼び出し状」「答弁催告状」……。
郵便の封を開いたTさんは見慣れない文言の羅列に、うろたえました。

訴状には損害賠償として330万円を払えとあります。
その日からTさんは「被告」となってしまったのです。
いったい、何が起きたのか?

被告人のTさんの素顔は?

Tさんは、よわい80を越える男性で、
公務員を務め上げ、退職後、茨城県石岡市八郷地区(旧・八郷町)に移住しました。
移住先として選んだ住まいは、草原くさはらと畑の周りに竹林や森が広がり、その一角に焼き杉を使った平屋が建っています。
ここまで書くと、鳥の声がさえずり美しい四季折々の草花が咲き乱れる理想的な田舎暮らしのイメージを抱くかもしれませんが、現実は草刈りに日々携わり、森の木の間伐などにいそしむ毎日です。
公務員時代、田舎での生活に夢を抱いていたTさんとその妻のHさんは、谷津田やつだと呼ばれる機械が入りづらい谷沿いの水田を借り、そこを週1回訪れ、テントに泊まりながら農作業にする体験を積んでいました。その経験から里山の環境を護るには、夫婦だけでは到底無理と分かっていました。そこで、広大な敷地を手に入れる際は、そこをコモン、公的な場と位置づけ、作業を行おうと仲間を募ることにしました。
現在は、仲間とともに畑を耕し、四季折々の作物を育てながら、「軽トラ」に乗り、「仮払い機」や「ハンマーナイフモア」、俗にいう”ハンマー”で除草作業を行い、倒した木を「チッパー」で砕き、チップにして肥料にする。そして、実った作物を仲間で分け合っています。
こうした作業のメンバーが集う場が「だんだん広場」で、いちおう規則や会費はあります。常時集まるメンバーは数人で、私もメンバーのひとりです。週1度の作業とその後にHさんの手づくり料理を囲み、わきあいあいとしたものでした。また、別に「里山連絡協議会」という組織があり、こちらは地域の里山の環境について話し会う組織です。N社が裁判で訴えた対象は、この「里山連絡協議会」で、その代表がTさんです。
そのTさんの下に、舞い込んだ訴状、330万円の損害賠償請求!
2023年に始まった裁判は、2024年5月に東京地裁、さらに2024年10月に東京高等裁判所で判決が下されました。この結果、Tさんは、被告という立場からは解放され、裁判にかかった弁護士費用はともかく、相手からの損害賠償の330万円は払わずに済みました。この裁判の概略は、「里山連絡協議会」から移行した「里山を支える会」のサイトに要点をまとめていますのでぜひご覧ください。

里山と呼ばれる自然って?

私を含め、「のどかな田舎暮らし」を求め、里山に移り住むひとはいます。
いまから100年以上前の大正時代、まだ里山ということばが生まれていなかった時代、作家で詩人の佐藤春夫は「田園の憂鬱」を著しました。
「私の霊は澱み腐れた潮であつた」と精神を病んだ佐藤春夫は、都会の煩わしい人間関係や喧噪を逃れ、田園に逃がれ、そこで暮らすなかで少しずつ癒えていった。100年以上前の状況だったらそうだったかもしれません。しかし、今の田園生活、里山では、そんな暮らしは夢のまた夢。少なくとも私のなかでは少し違います。
テレビや雑誌で喧伝けんでんされる里山のイメージと、実際に暮らし、環境を維持する里山の現実との間には大きなギャップがある。そのギャップを少しでも分かってもらえればと思い、里山について書いてみます。

里山ということばを生み出したのは、森林生態学者の四手井綱英しでいつなひで氏だといわれ、せいぜい20~30年前、意外と新しいことばです。日本テレビ「DASH村」で監修を務めた守山弘氏は、農林省農業環境研究所時代に、研究所に自ら雑木林や”お稲荷さん”などの鎮守の杜を作り、里山の生態を研究した方で、里山はテレビメディアで一気に広まりました。
こうして里山ということばは、「にっぽんの里100選」に代表されるように、日本の田園風景の原点として、”護るべき”対象というイメージが広まってきました。
ではその里山とは何か?
四手井氏や守山氏の里山の定義をまとめると、里山とは、「ひとが手を加えて維持される”二次的自然”であり、農という経済活動を行う場であり原資」。やや乱暴ですが、そうまとめられるでしょう。
里山の構成は、一定のまとまりある二次的自然がパッチ状に広がり、それぞれが相互に入り組む構造をとっている。
たとえば家屋敷とその周りの屋敷林を中心として、畑地、水田などの農耕地。その周辺の雑木林からは農地に肥料の材料となる草や柴を取る。さらに、雑木林の木そのものは約20年の間隔で、切り倒し薪にしたり、焼いて炭を作る。そのほか、寺社がある鎮守の森などの常緑樹の森があります。
そこにはもちろん、トンボやカエル、タカ類やウグイス、さらにスミレなど、里山の生き物が棲息しています。
里山の自然については、今森光彦氏をはじめ多くの書籍がありますのでここでは省略しますが、里山というと生き物のみに注目が集まり、それらが棲む環境を生み出す人間の存在が忘れられがちです。ひとが手をかけ維持する「二次的自然」だからこそ多くの生き物が棲息できるのです。では、ひとが手を加えるのを止めたら? そう、棲息できなくなります。
燃料革命で薪や炭を使わない暮らしとなって、その原料の採取地はお金を生み出さなくなりました。畑や水田からは今も収益が生まれますが、その肥料は外から買う場合が多く、自らが手間暇かけて草や落葉を原料にした肥料を作る農家は減り、手を加えるのを止めた耕作放棄地が増えています。
「里山って大切だよね、だから護らない」という話題に対して、「では護るためにどうやって稼ぐの?」と話題を振ると怪訝けげんな顔をされ、場がしらみます。そう、場違いな発言なんです。
でも、里山という語を使うとき、この里山の「経済」を抜きには考えられない、それが私のスタンスです。

迫りくる太陽光発電という新たな経済システム

わが国で太陽光発電設備事業が急速に進むのは、2011年の東日本大震災後です。東京電力の福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故以降、再生可能エネルギーへの転換が始まり、太陽光発電事業は一役注目を集めました。太陽光発電施設は、放射能を出さないので”クリーン電力”として広まる一方で、自然や景観を損うと反対運動も起きています。また、大都市圏の消費する電力を地方で発電する構造は原子力発電となんら変わらない、かつその発電事業者の顔も名前が知らない”だれか”である場合、地元に利益をもたらさないという指摘もあります。
私が、八郷に暮らしの拠点を設けたのは2020年。
ある住宅団地の中古住宅を手に入れました。そこから少し歩けば、広大な畑の向こうに点々と集落の家並みがあり、ヒノキやスギなどの林が点在しています(八郷は林業組合「つくばね森林組合」があり、ヒノキの産地なんです)。そんな里山を歩きながら夕日を浴びた筑波山は、最高です。
ただ、栽培されなくなった畑、耕作放棄地がないわけでなく、くずが繁茂した草原や篠竹しのだけの林が勢力を拡大しつつありました。
引っ越した直後、家の周りには太陽光発電のパネルは1つだけありました。2021年、2022年と毎年、ぽつぽつと私の家の周りにも太陽光発電施設ができていきました。ある日、突然、トラックが重機を積んでやってきて、樹木を伐採し、だいたい1か月もするとパネルが設置される。無論、私がそれにとやかくいう権利はありません。
Tさんや仲間と農作業場をしながら「最近、あそこに太陽光発電のパネルができたね」という話題もぽつりぽつり出始めました。
そして、空いた時間で太陽光発電設備事業ついて調べると、茨城県内の市町村によって、太陽光に関する条例やガイドラインの違いを知りました。
私の住んでいる石岡市では、2021年当時、1時間あたり50キロワット「以上」の発電能力がある太陽光を設置する場合は、地域住民の説明会をしなければなないという条例でした。では、山を越えてお隣の桜川市は? と見れば、条例の対象が1時間あたり10キロワット「以上」です。
「!?……」
これってどういうこと? と、さらに調べると、石岡市の太陽光発電設備の実に96%が1時間あたり50キロワット「未満」、ほとんどが発電量1時間あたり49.5キロワット(!)である現実を知りました。
太陽光発電事業者の立場でいえば、桜川市で太陽光を作るより、石岡市のほうが、地元説明会も開かなくて良いので、手間暇がかからないのです。
「なんだそういうことか」って、言っている場合ではない!
この事実を仲間に伝えると、「じゃあ条例を改正してもらおう」とTさん。
「えっ、条例ってそんなに簡単に変えられないでしょ?」と思ったのですが、Tさんをはじめ、移住してきた先輩方は2014年のころ、石岡市での太陽光発電の条例制定に向け、陳情活動をしたのだそうです。
その資料を見せてもらいましたが、陳情すれどもすれども行政からは却下の連続で、あきらめない。2016年に制定・施行された石岡市の条例は、そんな汗の結晶だったんです。
地域での活動は、行政と話し合い「対話」で解決する。
これがTさんの口癖で、姿勢です。
私は、八郷に来る前はつくば市に住んでいましたが、条例を作ったり変えたりは、市議会議員の役割であって、そのために市議を選らんでいると思っていました。しかし、Tさんは自ら動いて変えるという。
なんてことでしょう!!
そんなこんなで、石岡市に対し、2022年8月に条例改正の陳情を行いました。が、この条例改正は、想像通り悪戦苦闘の連続でしたが、現在は、1時間あたり10キロワット以上の太陽光発電を対象とすると改正されました。その辺は「石岡市太陽光条例の改正を求めます」にまとめましたので、ここでは省きます。
Tさんの「対話」は、行政だけにとどまらず、太陽光発電設備事業者にも及びました。
太陽光パネルの設置工事が始まると、Tさんは事業者の連絡先を調べ、連絡をとり、事業概要と設置後の地域住民とのトラブル回避案のための説明会をやってくれないかと頼むのです。
ある説明会は、Tさんのビニールハウスで行われました。
最初は、営業トークで硬い表情の業者の方も、Tさんの和やかな口調に次第に胸襟きょうきんを開いて行きます。
「災害時に電気が止まったとき、その太陽光発電から地元住民に電気って分けてもらえないの?」
なんていう話題も出たり、真剣ななかにもわきあいあいとしたものでした。
そんななか、N社との説明会が開かれました。

訴訟につながった太陽光発備事業社の説明会

太陽光発電設備事業者のN社は、都内に本社を置き、茨城県内にも支店があります。大きいか小さいかでいえば小さい方で、E社長の下、複数の不動産業者が土地を買収し、それを受けてN社が太陽光発電を設置する、そのほとんどの発電施設は”分譲型”と呼ばれ、設置後は「再生可能エネルギーを○○%使っています」とサイトに掲げる企業に転売しているようです。
N社は、私たちの住んでいる地区に太陽光施設の工事を始めたところで、1回目の説明会が、2022年4月に開かれました。それに私は都合で参加できませんでしたが、話し合いはある程度合意できた、近くのカメラマンのGさんが「念のため」と写真に撮っておいたとのことでした(このあとの裁判の証拠で、N社側は、1回目の説明会でメディアを呼んでいただろうと”いいがかり”をつけてきたのですが、メディアとは新聞社でも雑誌社でもなく、フリーランスのカメラマンのGさんで、あきれてしまいました)。
さて、1回目のN社との説明会のあと、N社は太陽光パネルを予定通りに設置。雨上がりの散歩の折に私はパネルの設置場所から泥水が流れ出すのをみて、「雨水対策はやる」といったというN社に軽い不信感を抱きました。そんな矢先、2022年の秋ごろ、我が家の近所で、重機のうなる音がし、木が伐採され始めました。N社によるものでした。
1回目の説明会で、担当者のメールを知ったTさんは、さっそく、質問をいくつかまとめ、N社に「メール」で発信しました。そして、会社としてこの質問にどう考えるか説明会を開いてほしいと申し入れました(訴状でN社は、あるときTさんが質問状を手に現場に現れ、「だめだめストップだよ!」と叫びながら工事を止めたと言っていますが、無論、Tさんがそんな乱暴な行為をするはずもありません)。
その申し入れの結果、2022年11月29日、N社の説明会がTさん宅で開かれました。1回目をパスした私も参加。念のためにボイスレコーダで記録しました(録音は、業者に依頼し一言一句忠実に再現する「反訳はんやく」をし、証拠として提出。裁判で有効な証拠のひとつとなりました)。
この日の主要テーマは、現在太陽光発電施設を進めている場所のほか、今後の開発予定地の農地Xについてでした。そこは葛などが生い茂る耕作放棄地で、その農地Xの目の前に暮らす農家のSさんにとっては切実な問題です。2022年夏ごろSさんは、地主から借りている農地を返却してほしいと言われ、理由を尋ねたら「太陽光発電を設置する」と言われ、その土地を購入していたのです。そのSさんも、無論説明会に参加しました。
実際、この日の説明会のほとんどは耕作放棄地の農地Xについて時間が費やされました。そして、N社のE社長が自ら「我が社では農地に手を出さない営業方針なので農地Xの太陽光は中止します」と発言。また、当日の説明会の雰囲気は太陽光を作るならどのように地元住民に受け入れてもらえるか、そのための提案なども話し合われました。
さて、11月29日の説明会は、私たちにもそれなりの成果がありました。
それは、当初、今後の太陽光施設が想定していた農地X以外にも、Tさん宅に隣接した竹林がN社により太陽光発電設備事業が進めらること、その土地売買の契約を地主のIさんと済ませていることなどを知ったからでした。
この竹林の話題は、最後の最後「じゃあそれ以外でなにかほかでの計画の予定は?」と出した質問でした。
この開発の情報はN社の営業担当者から出され、E社長は把握しいませんでした。E社長は、その情報を確かめるため、その場で請け負いの不動産業者にスマホをかけ、問いただしたところ、「竹林は確かに地主と契約した」と判明したのです。
ところが裁判ではなぜか、メインテーマである農地Xの件はほとんど触れられていません。そして、最後に出た竹林の件が大きなテーマになっていました。明らかに論点がすり替えられたのです。さらにE社長は、訴状で竹林の太陽光を中止する条件としてTさんに「竹林の地主Iさんに直接会いにいかない」という条件を出したいうのです。つまりTさんが地主Iさんと直接会ったため、N社はIさんから契約内容を軽々しく漏らす会社として思われ、N社の信頼を損ねたというのです。
「地主に会わないと約束した」とのE社長の訴えは明らかな間違いで、録音に残っていません。また「だめだめストップだよ」とTさんが乗り込んだ事実はなく、メールで質問状を送ったのでした。
いずれにしても、裁判の判決でN社の訴えはほとんど退けられました。
ちなみに竹林の地主のIさんは、Tさんが今住んでいる場所を手にいれる際に知り合った方で、Iさんの竹林でTさんはたけのを掘らせてもらうまでの信頼関係を築きました。ただ、そんな地域の人間関係やその信頼関係がどう育まれていったかは、東京にいる人間には分かりません。N社は裁判の和解条件として、「今後、被告(Tさん)は地主と直接会わないこと、会うときはN社を通すこと」を提案してきたのです。
地域の人間が日ごろの挨拶含め、会うのは当然です。なんで、そんなことまで東京の会社に指示されなきゃあならんのじゃ!とその和解条件は即却下したのは当然です。

だれもが巻き込まれる可能性のある「スラップ訴訟」とは?

Tさんの手許に東京地裁の告訴状が届いたとき、思いがふたつありました。
ひとつは、「あり得ない」。
そしてもう、ひつとは「やはり」でした。
「あり得ない」との思いは、地域の問題を他人事にできないTさんが、被告となるような世の中ならば「正義は無い」との思いからです。
しかし、地域のためリスクを顧みず行動するTさんの行動を、ひそかに心配していたのも事実です。
あるとき、私はTさんに「スラップ訴訟」という裁判もあるから気を付けてね、と忠告したこともあり、それが現実となってしまった形です。
私は、SNSのtwitter(いまはX)で、2020年ごろから、次々と著名な言論人がスラップ訴訟に巻き込まれているのを知っていました。
ひとりは、政治家の世耕弘成氏(当時は自民党参議院で経済産業大臣)から訴えられた青山大学の中野昌宏氏(2023年6月和解)の裁判
もうひとりが、戦史・紛争史研究家の山崎雅弘氏がテレビやyou-tubeなどで「人権侵害常習犯の差別主義者」として発言を繰り返す竹田恒泰史氏から提訴された裁判(2022年最高裁判決で原告請求棄却で山崎氏勝訴確定)です。
山崎雅弘氏は、裁判の記録を書籍「ある裁判の戦記-竹田恒泰との811日間の戦い」としてまとめています。私は、「ある裁判の戦記」を読み、私たちが戦ってきたスラップ訴訟の裁判との多くの共通点に気づきました。もちろん、違いはあります。
大きな違いは、山崎氏は、書籍などを数多く出し、Xなどのフォロワー数約17万人というインフルエンサーであり、裁判は思想家の内田樹氏を中心にしたネットワークや資金に支えられていました。また、SNSで裁判の経過を含め、多くの支援者を集めています。
それに対し、私たちは、SNSを使っているのは仲間で私ひとり、しかも私のフォロワー数はといえば156人です。また、当然、戦法としてSNSを駆使した情報発信を考えましたが、弁護士から「N社側からSNSの発信が新たな名誉毀損の証拠となるリスクがあるので、控えて欲しい」といわれ、判決がでるまではSNSでの情報発信は禁じ手となりました。
まあ違いはともかく、山崎雅弘氏の書籍を読んで、裁判の過程で以下のような共通点があります。(   )内は私たちの裁判に関する事例。
・スラップ訴訟は"いいがかり"。思いすらしない出来事や状況が証拠とされる(Tさんが現場に乗り込んで「だめだめ、ストップだよ」と言ったなど)
・"いいがかり"を正当化するため、論点をあえてすり替える(説明会の趣旨からいっても農地Xの太陽光発電の「中止」が論点なのに、竹林の太陽光発電にすり替え、その地主IさんにTさんが会いにいった点を争点にしたことなど)
・期日の直前、あるいは期日をすぎて答弁書を提出し、そのほとんどが真新しい証言が加えられることなく、言い換えや繰り返しで裁判を攪乱させる戦術をとる(最初のうちは、「えっ、どうしよう、今から読み込むの」と途方に暮れましたが、だんだん慣れてきて、「また?」と受け流す余裕すら出てきました)
・裁判は生まれて初めてで、どうしたらいいか分からない状態から始めなければならない。逆にいえば、裁判に慣れていない、やり方が分からない相手を狙い、「おれのいう通りにしないと痛い目にあうぞ」と恫喝どうかつする(裁判は、弁護士どうしでの弁論がほとんどで、本人が出廷したのは証人尋問の1回のみ)
まだほかにもありますが、書籍を読みながら、私はなんど「そうそう、そうなんだよな」とうなづいたことか。

さて、話を2023年に戻します。
生まれてはじめて被告となったTさんは、当初、どうしていいか分からず、「とりあえず自分で答弁書を書いて裁判所に提出する」と意気込んだものの、手がつかず、藁にすがる思いで知人のKさんに相談。Kさんは、ある宗教団体の指導者のパワハラ裁判を経験した方で、そのKさんからの紹介で弁護士を紹介してもらい、約20日間しかないなかで弁護士が「答弁書」と「証拠」を作成し、東京地裁に提出できました。
私もTさんの太陽光発電事業を巡る裁判のため、「里山連絡協議会」から発展的移行した「里山を支える会」の事務局長として支えてきました。
さて、答弁書を出し、なんとかぎりぎりで態勢が整いました。
裁判は、本訴と別に、被告のTさんが原告となって、本訴そのものが違法な「スラップ訴訟」であり、Tさんが精神的苦痛を受けたとN社に120万円の損害賠償請求を求める反訴を提起。2つの裁判が同時に進みました。そして、2024年5月の東京地裁で、本訴、反訴ともに請求棄却となりました。
東京地裁判決後、N社は控訴しなかったため、Tさんは330万円の損害賠償を支払わずに済みました。しかし、Tさんは、そもそもこの裁判が訴える根拠のない違法なスラップ訴訟であるとして、東京高等裁判所にN社を控訴しました。N社は決められた期日までに控訴しなかったものの、Tさんの控訴理由書の提出あとで、「附帯控訴」という”後出しじゃんけん”のような手段で、またも"いいがかり"を付けてきました(そんな手があったの!と驚きましたが)。控訴審は2024年9月に1回だけ公判で結審。2024年10月に東京高等裁判所は、Tさんの請求却下の判決を下し、裁判は終わりました。
N社の”いいがかり”ともいえる裁判は、裁判権の濫用であり違法、つまりスラップ訴訟であるというTさんの訴えは認められませんでした。
日本の司法制度では、憲法32条に「国民の裁判を受ける権利」を保障。訴えたを起こした側に「違法である」と判断することは、憲法判断にまで踏み込まねばならず、なかなか難しいようです。何でも裁判で決着を着けるアメリカでは、あまりにもいいがかりな訴えが多く、それを禁じる反スラップ法があるのですが、日本ではまだまだ先の話のようです。
裁判が終結して2か月が過ぎ、山崎雅弘氏の「ある裁判の戦記」を読みながら、Tさんの裁判を振り返ると、名前の通った方と名前をあまり知られていない市井しせいの市民との間に、戦い方の違いはあるものの、お金やゆとりのある上の者が下のものをいきなり”いいがかり”を付けて訴えるスラップ訴訟は、けっして他人ごとでなく、いつなんどき、だれもが裁判に巻き込まれる可能性があると、実感しました。

里山の太陽光パネルの開発を食い止める手段はあるの?

政府が再生可能エネルギーとして、太陽光で発電した電気を定額で買い取るFIT(固定価格買取)制度は、今や市場価格で電気を買うNon-FITに移行し、太陽光の買取価格は一時ほど高くありません。しかし、太陽光発電事業の開発スピードは衰えていません。その一因として再生可能エネルギーのクリーンな電力が企業の株価を高めるからです。企業は「どこ」の太陽光パネルで発電されたかは問題とせず、とりあえず「クリーンな再生可能エネルギー」であれば良いのです。
一方で農を営むなかで、農地や「山」と呼ばれる林や森は、労力をかけても見合わうだけの価値がない、経済的価値の低い資源です。それに新たに経済的価値を付けてようというのが、太陽光発電設備事業です。
”環境に負荷を与えない”再生可能エネルギーを使って発電する太陽光。それはあくまでも経済的行為で、そこに「景観」や「自然」を唱えてもあまり有効でありません。もしあるとすれば太陽光発電設備事業に代わる経済的価値を付けなければなりません。はたしてそんなうまい話があるのでしょうか?
八郷地区は、1970年代の水俣問題をはじめとした公害発生以降、東京などの都会と産地を結ぶ取り組みが行われてきました。例えば、私の家の近くにある「暮らしの実験室やさと農場」は、卵などの産直からはじまり、いまや50年を迎えます。いま農場の運営を担っているのは、第2世代です。
また、「JAやさと有機栽培部会」は、都内の生活協同組合との取引が縁で、いまやJAの有機JAS認証を受けた生産者が9割を占め、新規就農者の育成、支援を行っています。
こうした農業者がいるのが八郷の強みです。
ただ、敢えて厳しい言い方をすれば、それぞれは夢という可能性に
つながる強くたくましい”点”であっても、点と点が結びついて”面”として地域全体の課題を解決する力までなれていない弱さがある、と私は思います。
親が亡くなり農地を相続しても、その農地で農業を営まない方は増えています。また高齢化し、やる気はあってもできない農業者が増えています。それらの農地は耕作放棄地となります。もちろん、数字でそれがどれほどあるのか調べていません。が、耕作放棄地は私が移り住んでからでも着実に増え、そこが新たな価値を提案する太陽光発電に置き換わっています。
ここで思い出してほしいのが、農家Sさんの話です。
それまで借りて耕作をしていた畑を、地主から返してほしいと言われ、そこに太陽光ができると知った。「では、私が買います」と、農地を購入。Sさんは地主になりました。
八郷地区は、Sさんに代表されるように、都会から移り住み、農業を営む方が多いのですが、その多くは、農地を借りています。ですので、太陽光発電設備のために農地が借りられなくなるのは深刻な問題です。
土地を借りている農業者が、どんな形にせよ土地を所有し、里山資源に付加価値をつけるビジョンを目指して一体となって動いたら? それは言うは易く行うは難しいのですが、農業を本業として取り組んでいるひとたちが本気で取り組んだら?
非農家で、ペンより重いものをもったことのない私が、そんな夢を想いを勝手に描いてみるのは無謀でしょうか?









いいなと思ったら応援しよう!