成長している本人は成長は感じにくいのかもという話
※この記事はXからの転載です。
「科学的根拠に基づく最高の勉強法」という本で、面白いことが書かれていた。「再読する」という学習方法の有効性については科学的な根拠はない、と。その理由として「流暢性の錯覚(幻想)」があげられている。
また、他の科学的根拠がない学習方法として、ノートの書き写し・サマリ、テキストへのハイライトなどもあげられている。これらは勉強した気にはなれるが、実際に効果は低いそうだ。(もちろんサマリやハイライトの技術にも寄るが)
一方、科学的な根拠がある学習方法もいくつか紹介されており、そのひとつとしてアクティブリコールが説明されている。
アクティブリコール自体の詳細説明は割愛するとして、面白かったのは下記記述。
このような記述は、本の他の部分でも紹介されている。つまり、ここまでの科学的の根拠がある学習方法と、そうじゃない学習方法の大きな違いは、
わかりやすく自分が学習した気になれるものは、実際そこまで学習効果は高くない
学習効果が実感できない方法でも、実は効率的なものもある。効率的な学習方法は、本人にはその効果が実感しにくい
ということだ。 この本は学習について述べられているが、成長にも同じことが言えるなと感じた。
量に逃げるな、量だけを成長の拠り所にするな
ずーっと議論にあがっている「質か量か」の問題。
この引用は一例だが、多くの本で量質転換のことについて書かれているし、その論調が特にスタートアップ界隈では多いと感じる。
それ自体はまったく否定しないし、とにかく量をこなすのが重要なタイミングもあるのは間違いない。(またどういう量なのか、っていうことも大事だけどそれはまたどこかで)
ただ、「量で圧倒的な差をみせるぜい!!」と気合が入っている人たちのなかには、単に脳死で量をこなしているだけの人もいる。 「誰よりも会社に遅くまで残って仕事します!」「テレアポの量だけは負けません」「とにかくアポ振ってください!」などなど、いままで量に固執して働いてきた人を何人か見てきたが、その人たちが成長しているかというとそうでもなかった。
量はわかりやすい。けど、だからこそ、それだけを拠り所にしちゃダメだと思う。
成長は結果的に起きているもの
これは僕の少ないサンプル数のなかの意見だけれど、そういう人たちに限って自己肯定感は高かった気がする。それはなんでだろうと考えてきたけど、それは前述した学習効果と同じ話で「複数回やっているので、慣れてきて自分が成長した気になっている」「仕事をした気になっている」からなのかな、と。もしかしたら学習同様に
わかりやすく自分が仕事をした気になれるものは、実際そこまで仕事自体の効果は高くない
成長効果が実感できない方法でも、実は効率的なものもある。効率的な成長方法は、本人にはその効果が実感しにくい
ということも言えるのではないか? 確かに自分のいままでを振り返ってみて「いまこの瞬間自分は成長しているかもしれない!」って思うタイミングと「自分成長したなー」って結果的に思ったタイミングとの関係性は薄くも感じる。
経験則的には、気づいたら「あれ、前より成長してるかも?」って思うことばかりだ。 だから、最近チャレンジしているのに成長してる感じしないなーって悩んでいる人がいたら、「とりあえず仕事にちゃんと向き合っているんだったら、気にすんな」って話かもしれないし、一方で、めちゃくちゃ最近成長している感じがするっていう人がいたら、「それはわかりやすい仕事をしちゃっていないか?」って自問するのがいいのかもしれない。
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