冨安由真さん 「Paintings from かげたちのみる夢」@アートフロントギャラリー
通りに面した展示室には12点の絵画が掛けられていて、それらは現代美術の展示では珍しく、古式ゆかしい、施された彫刻や色味といった表情の一点一点異なる額縁に収められている (木材も違うと思うけれど、私にはよくわからない)。中央には、白い台座が5つ、粉末や液体の入った瓶がいくつも置かれた内1台を中心に、高さや幅を違えつつ林立していて、台座の上には、キジの剥製に、ワニや馬の置物、葉を散らせた植物を抱いた壺2つなどが、隣り合う台座の側面に影を落としつつ、それぞれ鎮座している。それらは絵のモチーフだったらしく、例えばキジの頭越しに隅を見やると、同じキジを、仰ぎ見るかたちで描いたと思しき作品が掛けられていたりするけれど、全てが一堂に会しているわけではないらしく、埴輪みたいな馬 (先述の馬の置物はもっとリアルなもので、デフォルメされたこのかわいさとは違う) は、描かれつつもこの空間にはない。
近づいて作品を、額縁をよく見ると、角と角とがずれていたり、彫刻の一部が剥げたりしていて、中央の品々に刻まれた年月、例えばワニの口中の剥がれや、キジの目元に溜まった埃などと呼応するよう。額装された絵画作品は、当然ながらずっと新しいものだけれど、電灯コードの白や、柱の表面の照りは、塗り残され剥き出した下地によって表されていて (さらにその下から、支持体の木目も見え隠れしている)、その色の “抜け” と、額縁の剥がれから覗く地肌の白さもどこか近しい。
そして遠目に臨むと、その白さが妙に迫ってくるようで、立体感、というよりもむしろ存在感ともいうべきありありとした気配を感じさせて、ギャラリーの、白く明るい空間は、これらの作品には眩すぎるのかも知れない。
隣の展示室に向かうと、一転、写真と映像が散りばめられていて、瀬戸内国際芸術祭での様子を窺い知ることができる。私はそちらを残念ながら拝見していないので、各部屋を、連続した空間としては把握できないものの、空気としてはその名残を感じることができて、それは、中央に置かれた丸テーブルの表面に残る染みから、コップを置いた誰かの気配を感じることと似ているかも知れない。
そしてその上には、先ほど描かれていた馬と思しき、埴輪めいた馬がいて、実物と絵が展示室を挟みつつ並置されていることは、そのまま、描かれた電灯コードや柱が、遠く離れた瀬戸内の空き家へと繋がっていることを連想させる。そしてテーブル下に置かれたモニター、奥の壁に貼り付けられた写真…とイメージがかたちを変えて “伝染” していく先に、私たち鑑賞者がいて、それぞれに歪な家、いわば “かげ” を持ち帰るのだろう。