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【『手帖』と手“帳”(29)】(美術鑑賞の日々を小説風に綴る月刊誌『平岡手帖』クラウドファンディング 29日目)

修復された《睡蓮、柳の反映》を見たのは、2019年の「松方コレクション展」だろうか。その時は全然気がつかなかったけれど、渋い金色めいたキャンバスに固定された残存部分は、釘の打たれていた側面(錆色と穴が残っている)もろとも、いわば“開き”となって貼り付けられていて不思議だ、痛々しいはずなのに妙に現実感がない。
その正面に、人が行き来できるくらいの間隔を開けて竹村京さんの作品が、レースのカーテンのようにはためいているのは、「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?」の会期中だからで、昨日ようやく見に行った。その作品の前にはひとりで立ったが、ひとりで来ていたわけではない。

上野駅で合流したトウマさんと西美のベンチに向かうと、すでにシモウラさんが来ていて、私は初対面だったので挨拶をする、話しているとイイジマさんとアモエさんもやってきて、イイジマさんのご友人も折よくこれから見るらしい。最近、人と展示を巡る機会が増えてきて、クラファンのリターンにも、「平岡の展示巡りについていく」「平岡を展示巡りに連れていく」というお遊び的なもの(しかし意外とご支援いただいている)があるからありがたい練習だと思っていたけれど、この人数ははじめてだ。
と言ってもみんなで一緒に見てまわるわけでもないから、展示室の前ですーっと分かれて、あっという間に溶け込んでしまった。とりあえずひとりで、ボリュームに気圧されつつ見ていく。

そんな中で行き着いた竹村さんの作品は、あたかも睡蓮に当てられたガーゼのようで、欠損した上部をイメージして張り巡らされた刺繍糸、その“ストローク”は長くて滝みたいだ。そして、糸は、支持体の布にぴったりくっついているわけではなく、緩やかに表裏を行き来していて(その“ループ”部分がきらきらと光っている)、玉留めも探してみたけれど見つからない、もしかすると、ただ往復だけによって糸はとどまっているのかもしれない。
“ガーゼ”、と言っても離れて展示されているから、残存した下部と、補われた上部がぴったり、パズルのように当てはまることはなくて、その間にはいつも、金色の支持体が覗いている。その形が、時に傷口や、国境のように見えることもあるけれど、そこにいつも軽やかさが漂っているのは、事実、作品がカーテンのようにゆっくりとなびいているからで(近くで見ていて、ふいに倒れこみそうになるのはそのはためきによってで、波打ち際のようでもある)、その度に変わる形は万華鏡みたいだ。

順路を逆走して、小田原のどかさんの展示エリアに行けば、さっきよりずっと賑わっていて、点在したスツールにはまさしく《考える人》のポーズで参考図書を読む人がいるし、そもそもどんなポーズでも、この、“だるま落としにした五輪塔” に座っている人は誰でも彫刻のようだ。そして本物の《考える人》は寝そべっていて、山並みのごとく成形されたクッションが、その丸まった背中にぴったりフィットして支えている。手前の《青銅時代》も同じく仰向けになっており、肩甲骨、骨盤、ふくらはぎの3点にクッションが当てられている。“オーダーメイド”として誂えられた台座は、仮にそれだけを見たとしても、きっと元の作品を(ある程度)連想させるだろう、それは、さっきまで寝ていた人の重さだけ沈んだベッドに少し近いかもしれない。

もちろん、お二人の作品はコンセプトから言っても全然違うけれど、目の前の作品を見て、その輪郭をなぞっていくような手つきとしては通ずるように思えて、特に竹村さんの作品の佇まい、間合いはダンスのようだ。

…なんてことや、それ以外のことを、再合流したトウマさんたちと話したり話さなかったりする(話さなかったのは、単にその時思いついていなかったからだ)。他愛もないことでも聞いてくれる人たちだから、安心して話せるし、逆に落ち着いて聞くこともできる。
今、聞く耳を持たない、というより言葉がそもそも通じていないのでは?と思わされるような渦中に、誰しもが多少なりとも巻き込まれているような気がするし、そんな中、声を高めていく必要性や、そうせざるを得ないところまで追い込まれてしまうことも避けがたいけれど、だからこそ、訥々と、小さな声で話してみたりするその身振りも、社会に、ひとりの人の中に同居しているとよいのでは…と、ゆったりと風に踊るカーテンを思い浮かべる。(続く)

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【クラウドファンディングはじまります!】

本日から『平岡手帖』定期購読者を募る
クラウドファンディングを開催いたします!

詳細は「平岡手帖」アカウントプロフィールに記載のURLからご確認ください
@hiraokatecho

○『平岡手帖』
○場所:CAMPFIRE
○クラウドファンディング期間:2024年4月1日〜4月30日(予定)
○目標金額:170万円(定期購読者300人)
○企画:平岡手帖制作委員会、ハンマー出版、額縁工房片隅

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『平岡手帖』について。

1年のうち300日以上を美術に出会うために歩き回っている平岡希望さん。ここ数年は、毎年600カ所以上の展覧会に足を運び、その空間とそこにある作品1つ1つを熱心に鑑賞している。その動向はSNSでなんとなく目にしていた。最近では、かなり長い文章で美術との出会いを克明に記している。しかし、平岡さんの全貌は謎に包まれている。日々どんな生活をしていて、どんなふうに動いて、なにを考えているのか。そして、その美術への熱量はどこからくるのか。僕はずっと気になっていた。美術と出会うために、全てを注ぎ込んでいるような人。そんな人が、1人くらいこの世の中にいてもいんじゃないか。いや、いてもらいたい。そして、そんな生き方を応援したい。そんな思いを数人と話しているなかで、平岡さんの手帖を公開して、日々の美術との出会いを記録発信していく『平岡手帖』という企画は面白いんじゃないかという話になった。平岡さんに話してみると、ぜひやってみましょう、という事になった。展覧会とは、オーロラのようなものだ。その時その場所に行かないと出会えない。そして、その一瞬の会期が終わると風に吹かれた塵のように消え去ってしまう。そんな儚い展覧会というもののアーカイブとして、この「平岡手帖」が、もし5年、10年、続く事ができたならば、未来において日本の美術シーンを語るうえでの重要な資料になるのではないかと夢想する。そして、美術に出会うために自らの全てを注ぎ、歩き回っている1人の人間のドキュメンタリー・ノンフィクション小説として読むことも出来るだろう。平岡さんの1ヶ月を1冊の小説のような形にまとめて、それが1年間12冊、毎月送られてくる。今回のクラウドファンディングでは、そんな『平岡手帖』の定期購読をしてくれる人を募りたい。

この「平岡手帖」を定期購読するという事は、少し大げさかもしれないが、美術という1つ1つの小さな出来事を、1人の存在を通して美術史に小さく書き残していく、そんな事への協力になる。ぜひ、多くの方に平岡さんのそんな生き方を応援してもらいたい。

きっと今日も平岡さんは美術に出会うため歩き回っている。こんな人この世の中になかなかいないと思う。だからこそ。ぜひ『平岡手帖』の定期購読をしての応援、よろしくお願いいたします。

(平岡手帖制作委員会_佐塚真啓)

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