嗚呼なんて平和で安全なイタリア

さて、イタリアでの生活も板についてきた。
イタリア語もだいぶ話せるようになり、まだまだ語彙や言い回しに不足感はあるものの、普段通りの生活には何ら問題ない。

とにかくイタリアは非常に安全な国で、普通に暮らしていれば、ほぼ危険と無縁と言える。・・・と言えるのも、私の安全感知センサーはNY暮らし(特に最後に一人暮らしをしたハーレム付近)によってちょっとぶっ壊れ気味だからなのかもしれない。ここは死ぬほど安全で平和である。レイプの結末が殺人であることも稀で、誰も銃を持っていなくて、いきなり撃たれる可能性はほぼゼロ、自宅のすぐそばで誰かが銃殺されることもないんだから。日常的に触れ合う可能性が一番高いのはコソ泥かレイプ魔(銃なし)。

今思えば笑えるのだが、NYでの隣人(この隣人も突然叫び出したりしていたが、まあそんなことは普通なのがNY)がいつか私に話してくれた事がある。初めてハーレム付近に一人暮らしする事になり不安がっていた私を励まし、「大丈夫だよ!この辺りはハーレムってほどハーレムじゃないし、音楽家ばっかり住んでいて本当に平和で安全だから。君が誰かをBotherしなければ、誰も君をBotherしないよ」と言ったそばから「あっそういえば、この間あそこの銀行のATMでお金をおろそうとしたら、割り込んできた人と言い合いになって、殴られたんだよね!まあ小さい事さ!」と満面の笑みを見せていた。私の頭は混乱するばかりだった。いやいや、君、Botherされた上に殴られてるじゃないか。まあ、頭がおかしい人が多いんです、NY。

その後イタリアに越す直前には、うちの前で朝っぱらから若者が銃で打たれ、翌日には刑事二人が我が家をノックしてきた。他にも銃撃・殴打・刺殺事件は多く、ここに住んでいた間は、少しでも走りづらそうな靴は履かなくなったし、遅くても22時には帰宅するようになった。帰宅時には何度も後ろを振り返り、暗めの場所では小走りし、アパートの入り口ではシュパッと鍵を開けて入って即閉め・・・なんて具合だった。22時を過ぎそうなら、絶対に流しではないUberを使い帰った。冬は朝でも暗いので、明るくなって人通りが増えるまでは家から出なかった。

それに引き換え、ここイタリアは天国のようだ。
0時過ぎに帰るのだって平気だ。ヒールもまた履けるようになった!ビクビクして帰宅しなくていいし、後ろを振り返る頻度も減った。朝5時にも出かけられる。
一度、22時半ごろに帰宅した日、知らないおじさんが私の後に続いて、アパートの入り口から滑り入った事がある。平和ボケして、後ろを振り返るのを忘れていた。私は「なんだこいつ」と思って、顔をまじまじ見てしまい、その頃はイタリア語も話せなかったので「ハーイ」と声をかけた。これがNYだったらと思うと肝が冷える。殴られてレイプ後、顔を見たがために殺されるコースである。おじさんは「あっ家を間違っちゃったー」とヘラヘラしながら出て行った。イタリアでは、顔をちゃんと見てコミュニケーションをとると犯罪抑制になるらしい。私は、レイプ魔が言い訳して出ていくなんて、なんて平和な街なんだろうと、安全な街に住む喜びをかみしめた。それ以降は何も起こっていない。こんなことは日本でだって起こり得るし、寧ろ日本の方が危険度が上がる可能性もある。

「移民が多くて危険」と言われるバスの路線などもあるが、危険を感じた事が一度もないし寧ろ好んで利用している・・・のは、やはり私の安全感知センサーがぶっ壊れているのだろう。もしくは、危機管理能力がイタリアのアベレージよりも発達し過ぎたのかもしれない。私にとっては、銃さえなければいいのだ。頭がおかしい人+銃の組み合わせは本当にヤバい。移民がどうこうじゃない。普通の移民は真面目に暮らしている。頭がおかしい人がヤバいのだ。ちなみにイタリアでは「移民」とは主に肌の色が濃い人を指す。なんかすごい差別的だなと思ったのだが、移民を表す単語が、対アジア系と対肌の色が濃い人系で違うらしい。

イタリアは基本的に、人々にカトリックの思想が根付いている。無宗教を宣言する人であっても、根付いた思想には抗えない。性善説をもとに行動する人が多く、社会のルールですら性善説に基づいている。イタリアのFBIと呼ばれる高齢者たちの監視の目も光っている。ローカルなお店は地域の防犯にもかなり貢献しており、人と人の関係性が近い国だ。他人に対し興味・関心を持っている。この国民性・地域の在り方のおかげで、私は平和な暮らしを享受できている。






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