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居るだけでいい
【隣の生命(いのち)】
10㎝×10㎝ 厚さ1㎝
キャンバスにアクリル、シーグラス
ショップにて販売開始
https://nozomiwork.base.shop/
(プロフィールリンクから飛べます)
*絵みくじ
絵と、絵から受け取ったあなたに向けたメッセージを送ります
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【誰の役に立たなくても存在してていい】
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去年の大きな気づき振り返り
自己評価がめちゃくちゃ低かった私は
「誰かの役に立たないと人と居てはいけない」
「誰かの役に立たないと生きてちゃいけない」
という強い強い強い観念を持っていた
人の役に立たないと生きていてはいけないと思っているので、
周りに人が増えれば増えるほど、
自分の役割、
責任や負担が増えていくということ。
どんどん重くなる。
しかもその人その人に合わせて
"こうした方がいいだろうという自分"として
自分の形を変えて振る舞い、
個別の対応をとっていくわけなので(無意識で)
めちゃくちゃ疲れる
自分が何人いても足りない
人といると疲れるから、
どんどん自分の周りから人を消していく
自分を守るために人の繋がりを絶っていく
それが1番、楽だったから。
1人でいることが1番楽だと思っていたから。
今でも1人は大好きで、基本は1人で居たい。
こどもの頃も、たとえ子どもだろうと、1人の時間が欲しかった。
(たぶんそれがアトリエが欲しいという望みに繋がっている)
でも1人の時間を十分確保できるようになった今は、1人の時間があるからこそ、
他人との関わっていきたいと思うようになった。
本当にここ最近の大きな変化。
ひとり寂しい未来しか描けなかった私の妄想の中に
だんだん人が増えて、賑やかになってきた
そのままの自分を愛していくと
どこにいても誰といても自分は自分でいいと思えるから
変に頭をフル回転させて
相手の気持ちを詮索することもなくなり、
誰と接していてもそれほど疲れない
(疲れる人とはそもそも距離を初めから置けるようになった)
自分の人生に他人が加わることで、
思わぬ広がりが産まれていく
絵もそうだった
自分で描いておしまい、よりも、
自分だけでは生み出せなかったような世界が見えたりする
自分が誰かの役に立とうが立つまいが
自分はただ存在していていい、
誰かの隣にいてもいい、
存在そのものに価値がある
と思えたら
周りの人に対しても
何もしなくても居てくれるだけでいいと思える
つまり自分が人のために何かしないと存在価値がないと思ってたから、無意識で相手に対しても同じことを求めていた
何かしてくれない=愛されていない
の方程式が成り立っていた
人と関わることが面倒だと思っていたのは
私が相手の要求に従わないといけないと思っていたから
自分が合わせないと嫌われると思っていたから。
自分の意見を言ったら愛されないと思っていたから。
でも、全く価値観の違う人間が、
戦わず、認め合い、共存できるんだと知ったら、隣に人が居るということが心地よくなってきた
おはようおやすみを言ったり
今日はいい天気だね〜と言える人が居ると言うだけで、尊いことだった
人のために何かしなくても大丈夫
と言うことを少しずつ
行動とともに腑に落として
むしろ
"人がいてくれる方が楽"という衝撃の事実。
考えてみたら子育てでもなんでも
1人でやるより分担した方が楽なわけで、
当たり前なんだけど
私にとっては
"1人が1番楽"の時期が長すぎて衝撃。
1人でなんでも背負おうとして潰れた過去の私、大変だったね、よく頑張ったね
もう1人で何もかもやろうとしなくて大丈夫だよ、
生きていることそのものに価値があるよ、
と声をかけたい。