12月1日
久しぶりに渋谷に来た。夕方三茶で打合せがあり、それが済んだら映画に行くのにちょうどいい時間だなと思って調べたら観る機会を逃していたドライブ・マイ・カーのレイトショーがあるのを見つけて、三茶からバスに乗って渋谷まで出た。
渋谷に来るといつも、いつもどこにも行くところがなくて、ふわふわゆらゆら、幽霊みたいな気持ちになる。映画まで一時間あったから、本当は三茶で時間を潰した方が良かったのだけど、打合せのあと何となくそのままバス停まで歩いてしまい引き返すのも億劫ですいすいとあっという間に渋谷に着いてしまった。
打合せで相手がケーキを頼んだのでわたしも食べたくもなかったケーキを頼んでしまい(栗のタルト美味しかった、彼はレモンケーキを食べていた、好きで、と言っていた、わたしはレモンケーキがあるお店はめずらしいですよね、と言った)だからまったくお腹は空いていなかったけれど、今日は一日食事らしい食事をしておらず塩っぽいものが食べたくて、しばらくふらふらと歩いたあとタイ料理屋に入って、メニューを何往復かしたあとトムヤククンに麺が入ったものを頼んだ。麺を少なめにして下さいというのを忘れて、エビや小松菜やきのこなどの具材を食べてしまったあと半透明の米の麺だけが大量に残り、この、米の、炭水化物の、これを、これだけを食べ続ける行為になんの意味があるのだろうかとつくづく不思議な気持ちになった。想像よりも辛くて、冷たい外気と同時にマスクの中で唇がひりひりするのを感じながら映画館まで歩いた。
赤い車が一面の雪道に出て音がまったくなくなるシーンがあり、その美しさに涙が出た。物語というより、そういう演出に心動かされるとき、その感動に感動する。
映画館を出ると23時を過ぎてきて、どこかで一杯くらい飲んで帰りたいような気持ちもしたけれどもちろんどこにも行くところなどなく、コンビニで缶ビールを一本買って飲みながら神泉まで歩いた。ライブハウスがある一帯の裏道を歩きながらいろんなことを思い出した。亡くなったヨースケさんと花魁バーで深夜まで飲んで、ギターのストラップをもっと短くした方が楽だよ、気をつけて帰りなと言って見送ってもらったこととか、たしかHOMEでライブをしたあと道玄坂沿いのラーメン屋に行ったことも何度かある、はいからさんというバンドの近田さんが一緒だったような気がするけれど、近田さんと渋谷で一緒にライブした記憶はないから間違っているかもしれない。根津さんとネストにライブを観に来て、その日はわたしが当時気になっていたひとが出ていたから打ち上げの終わりの終わりまでずるずるといてしまってなんか空気が読めない感じになっていたことに帰り際になって気がついて恥ずかしかったこととか。いろいろ。
歩き足りなくて駒場東大前まで歩いた。本当は池ノ上まで行きたかったけれどこれ以上歩くと終電を逃すからあきらめて電車に乗った。
打合せの相手は、たぶんものすごい誠実さでもって言葉を使っていて、わたしはそのひとの前で適当なことを言うことを許されないような気持ちになって、なんだかとても居た堪れない想いがした。デモが少しずつできて嬉しかったしけっこういいような気がしていたけど、それじゃ足りないと、そんなことはまったく言われていないけれど勝手に思い知らされたような気がしてたちまち心細くなった。だけどそれは、自分の向き合い方が十分ではないということを自分で自覚しているからに他ならず、だから余計に心がしぼむのだった。
駒場東大前の駅の階段を降ってホームに降りたとき、イヤフォンを着けて、なにを聴こうかなと思ってSpotifyを開くとPhoebe Bridgersのシングルが出ていて、あぁそうだったと想い聴いてみたら当たり前に良くて、わたしはただ歌が歌いたいだけなのにそれはそんなに難しいことなんだろうかそれさえも許されないのだろうかということを思った。
そろそろやっぱり一度どこかに行かないとわたしはもう息が詰まってどうしようもなくなるような気がする。というか定期的に息継ぎが必要なら息ができる場所に移った方がいいのではないか。というずっと考えていることをまた考える。パスポートが気付けば切れてしまったから取りにいかなくちゃと思いながらずるずると日々が過ぎている。ずっと同じことの繰り返し。
友人と予定を合わせるのにこの週以外ならと言われた週目掛けて候補日を3日もあげてしまい、なんというか相変わらずそんな感じ。街中に現れはじめたクリスマスの電飾、青とか緑が嫌いでそれらを見るとその美しくなさに絶望的な気持ちになる。12月。
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