4月18日 グリーンブック、#SaveOurVoice、雨と黒板とチョークとか

『グリーンブック』というずっと観たかった映画を観た。とてもよかった。久しぶりにすごくシンプルに、純粋な優しい気持ちになれた。ピアニストのドン・シャーリー役の役者さんの笑ったときのチャーミングさが堪らなく素敵で、見覚えがあるような気がしたけど思い出せなくて、調べてみたら『ムーンライト』に出ていた。役柄も雰囲気も体型すらまったく違うので、同じ人だけど違う人だ、と思った。やっぱりいい映画にはいい役者だな。映画はいい。

今こそゆっくり本を読むチャンスだ、と思って何冊かまとめて買ったのだけど、気持ちが散漫でなかなか集中出来ず(読んでも読んでも全然入ってこない、驚くくらい)そういう点で映画の方が受動的に向き合えるから今はよいのかもしれない。でも本も読みたいんだけどな。

今日は#SaveOurSpaceという文化施設に対する国からの助成を求める活動と連動して、現場の声を集めて発信する#SaveOurVoiceという取り組みの第一回をアップした。

インタビューとテキストをわたしが担当しているのだけど、これは実はわたしがやりたいと言ってやらせてもらっていることで、もともとわたしが個人で勝手にやろうと思っていたことをだけどSOSの発起人でもあるスガナミさんが「SOSの中でノゾミさんがやったらいい」と言ってくれたのだった。

すでにアップしたクックさんを含め、3人の”スペースで働くひと”に話を聞いた。なんていうか、本当に痛いくらいの気持ちになる。

すでに閉店してしまったお店の話もいくつか目にしている。これからたぶん、どんどん増えるだろう。たぶん、止められないだろう。それがライブハウスであれ、飲食店であれ、映画館であれ、服屋さんであれ、どんなに小さな場所であってもそこには人がいて、暮らしがあって、たくさんの想いがあって、そのことを思うと本当にやり切れない気持ちになる。

みんな物販したり配信したりクラウドファンディングをしたり、必死に工夫して頑張っている。そのどれも全部を応援したい。でもはっきり言って自分のことすらままならない個人単位での支援には限界があるし、いまの状態でいつ収束するかわからないこの状況にいつまでも耐えることはどう考えても難しい。だから国からの助成がどうしたって必要だ、というのがわたし個人の考えで、そのためにできることを、と思っていたのだけど、もうすでに手遅れな局面に差し掛かっているのではないかという途方もない感覚を今日はじめて覚えたのだった。

思い入れのある場所やお世話になってきた場所はたくさんある。だけどその中でも「特別だ」と思う場所がわたしには3つあり、そのいずれもが本当にちょっともうダメかも、という状況にある。その場所とその場所にいるわたしの大切なひとたちのためにわたしにできることはゼロではない。それは分かっている。だけどわたしにできる1とか2では足りない、どうしても足りない。そしてそれらの場所がわたしにとって特別な場所であるように、どんな場所だって誰かにとって特別な場所なのだ。毎日考える。だけどすぐに行き止まる。本当に、誰か教えてほしい。今すぐに。

今日の午前中、机に向かいながら横目で隣の家のベランダに激しく打ち付ける無数の雨粒をしばらく見ていた。久しぶりに見る土砂降りの雨はこれでもか、というくらいに強くしつこくコンクリートの壁を叩いていた。

小学校1年生のとき、何の授業だったか、雨の粒は地面に当たるとどうなりますか、と先生が聞いて、みんな次々に手を挙げて、当てられたひとから順番に前に出て黒板にその様子を絵に描くのだけど、なかなか正解者が出なくて、何人も何人も描いて、もうダメかという空気が流れはじめたとき、さいとうゆうき君という骨と皮だけみたいに細っこくだけどちっとも不健康そうではなく、走るのが早い目の大きな男の子がついに正解を描いた。ほかのみんながただ地面に吸い込まれる雫を描いたのに対し、彼は地面に弾かれて飛び散る雫も描いたのだった。

わたしはそのことをなんとなくずっと覚えていて、だけど今日の雨を、隣の家のベランダを打つ雨を見ていたらその記憶がたぶん今までで一番鮮明に蘇ってきて、黒板の大きさとかチョークの粉が落ちる様子とか、先生の髪の毛の黒さとか、さいとうゆうき君がちょっと小走りで席に戻って行ったことととか、そういうことがはっきりと浮かんできて、わたしはだから雨を見ているというよりその記憶をなぞっていたのだけど、でもそれが本当にその通りだったか証明するすべはどこにもひとつもない以上それはわたしの単なる想像かもしれないのだな、とかそんなことを思っていた。

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