5月27日 茅ヶ崎美術館の庭で

この数日身体がなんだか異様にぶくぶくしており、太るようなことはなにもしていないのに何でだろう、やっぱり不眠の影響があるのだろうかもしくは満月が近いことが関係あるのかしらと思っていればどうやら後者だったようで、今朝起きてみたら嘘みたいにすっきりしている。わたしの周りの自然に近い場所に生きているひとたち(特に女性たち)は月の満ち欠けの周期を気にしているひとたちがとても多く、わたしももう少し気にかけてみてもいいのかもしれない、というかもう少しその関係や影響についてなにか本を読んでみたりするのもいいのかもしれないと思っているところ。月食見られなくて残念。

きのうは茅ヶ崎美術館までひとりで出掛けた。藤田道子さんの展示を観に。考えてみれば美術館に行くのもとても久しぶりで、この静けさ、静止する対象とただじーっと心ゆくまで向き合う行為、そうして静かに流動する心、そしてそれを観察する自分自身、あぁそういえばわたしはこの一連のすべてがとても好きだったのだ、ということを思い出した。忘れていることがとてもたくさんある。

午前の眩しい光がふる新緑の庭に立ち鳥の声や風の音を聴きながら、わたしはやっぱりひとりがとても好きなのだということも思い出した。最近は誰かといるということについて割と集中して考えていたけれど、わたしはやっぱりひとりでいることに確かな心地良さや快適さもっと言えば満ち足りた幸福を感じていて、そしてそれはとても大切にすべき感覚だと思った。でも同時に、別にそれは誰かといることと天秤にかけてどちらかを選ばなくてはいけないようなことではなく、どちらも大切に両手に持てば良いのだ、ということを考えた。

わたしのあとにやってきた賑やかな女性たちの団体2組の合間を縫うようにしてじっくり作品を眺めたあと、日傘を刺して浜まで歩き、灰色の海とそこに浮かんで波を待つとても沢山のサーファー達を少し眺めてから、駅前のカフェでフォカッチャのサンドイッチと苺のタルトを食べて電車に乗って家に帰った。

おとといの夜はまたほとんど眠れず、深夜4時頃に諦めてベッドを出てそのまま朝一出掛けたので家に帰る頃にはふらふらで(日差しも沢山浴びたし沢山歩いたし)30分ほどベッドに横になって目を閉じた。

夕方からwebでの打ち合わせ、思いがけない方からふいに連絡をいただき近況報告やあれこれの話など。ここにきてこういうことが増えている。とても嬉しいし驚いてもいるのだろうけど、わたしの心はなんだかひどく落ち着き払っていてことの成り行きを黙って見ている。わたしは、ただ、誠実でありたいと思う。持てる力をすべて出し切って期待に応えたい、頼んで良かったと思ってもらいたい、と思う。自分が自分に恥ずかしくないようにありたい。

夜は少し仕事をして、ずっとうーんと思っていたものにようやく目処がついて、少し肩の荷が降りて安心して、少しお酒を飲んで早めにベッドに入った。

もう5月も終わるのだなぁ、するすると実態なく過ぎていく日々とどうしようもない世の中のあれこれ、うんざりするがまだまだ目を向けて考えることを続けなくてはいけない。辛い。今月中にun/baredをどうにか更新するぞと心に決めなるべく積極的にPCに向き合っているが全然筆が進まない。間に合うか。

低気圧。今日は久しぶりの断食。きのうはたくさん小麦も摂ってしまったしお酒も飲んでしまったけど、欠けていく月がきっと助けてくれるでしょうという他力本願の楽観。

やたら日課を書く時間に余裕があるなぁと思っていれば急行でなく各駅停車に乗っていたことに気づいたいま。


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