10月9日
今朝早くに母に起こされ、おばあちゃんが病院に行きたがっているから今日もし家にいる予定なら付き添いに行ってくれないかと言われた。今日はいろいろ溜まっていたことをゆっくり片付けてあれとこれとあれをしようと思っていたけれど、母は「きのうも遅かったところ悪いけど」とか「わたしもお父さんも仕事で行かれなくて」とか、半分寝ていたのでうろ覚えだけど確かそんなことを言っていたと思う、寝ぼけたままほとんど自動的に「いいよ」と答え昼前に着けばいいということだけを確認してすぐに目を閉じた。けれど結局あまり眠れずその後すぐに起き出して、でも何もする気にならず、例によって台所に立ってかぼちゃのサラダと、さつまいもといんげんを甘じょっぱく炊いたのを作った。
祖母は少し前に腰を痛めていて、以来すっかり調子が悪く最近母は祖母の住む千葉の団地までちょくちょく通っていてわたしもタイミングが合うときに時々一緒に様子を見に行ったりしていた。きのうは食べたものを戻してしまったと聞いたのでおいもの煮物くらいなら食べれるかもしれないと思い、かぼちゃのサラダは生野菜も入れたのでどうかなと思いつつ、両方少しずつタッパーに詰めた。家を出るときに「お昼前に着くよ」と電話をして、なにか買い物はあるかと聞くとあまり食欲がないけどパンとかサンドイッチなら食べられると思う、と言うので地元の駅前のパン屋さんでサンドイッチと軽めの食べやすそうなパンをいくつか見繕って買った。
東京駅で東西線に乗り換えて30分ほど。駅を降りると改札口の横で大福などを売っていて(よくあるプッポアップの屋台みたいなお店)苺大福がとても綺麗だったのでふたつがパックになっているものを買った(なんとなくひとの家に行くときはあれもこれも買いたくなるきらいがある)。あとこの間パルテノを買って行ったらちょっと喜んでいたのと自分が食べたかったこともあり、駅前のコンビニでふたつ買って傘を差して団地まで歩いた。
祖母は3つセットになっていたサンドイッチの卵サンドとかぼちゃのサラダを少しと、煮物のお豆(おいもは大き過ぎたらしく手をつけなかった)、それからパルテノを食べた。紅茶を飲み少しひと息ついてからタクシーを呼び病院へ行き、整形外科と内科にそれぞれかかり、MRIを撮りましょうとか胃カメラを撮りましょうとか言われ、大量の薬をもらって数時間後に帰宅した。
祖母はもうすぐ90になろうかという歳だけど、多趣味で友達も多く基本的には心身ともにとても健康だ。だけど今日病院に付き添ってみて、身体というよりも精神の老いを目撃したような気がして、はじめて老いというものを「怖い」と思った。病院の先生との祖母のやりとりは的を得ているようで微妙にずれており、聞かれたことに対して要点をかいつまんで答えるというようなことが全く出来ず(話好きのひとだからあるいは元からそうだったのかもしれないとも思うけれど)、要領を得ない話を延々しているような様子で、なんというか歳をとるということはこういうことなのだということを身をもって悟ったような気がした。
去年のいま頃、久しぶりに両親と暮らしはじめたときにもそういえば同じようなことを思った。母との会話がいまいち噛み合わなかったのだ。最近はそれほど気にならなくなっているので単純に久しぶりだったからということもあるのかもしれないけれど、感覚のズレというか、会話における反射神経とか、そういうものが少しずつ変わり始めているのだということを実感し、あぁ両親も確実に老いているのだ、ということを思ったのだった。
病院から戻り、祖母に薬の説明をし(35日分×6種類、うち3種類は一日3回服用、2種類は頓服、祖母は「35日分も出すなんて“この薬は効きません”と言っているようなものじゃない」と言っており、確かに、と思った)、近くのスーパーまでパンやら牛乳やら、頼まれたものを買いに行った。そうしてあっという間に夕方になり家路についた。
なにをしたわけでもないのだけれど重たい徒労感があった。早く家に帰りたいと思った。わたしは孫だから今日のようなイレギュラーのときにたまに出動すればいいだけだけれど、母はこれをいつもやっているのかということを思ったとき、いずれ来る両親の老い、そしてさらに自分自身の老いというものがはじめて実感とともに押し寄せた。それは背筋の凍るようなことだった。
帰る道すがら母に連絡をし、駅前の中華屋さんまで来てもらって一緒に夜ごはんを食べた(えび春巻きが食べたいというなにかのときに降って湧いた気持ちを一ヶ月ほどかけてようやく消化した)。そうしてはち切れるほど食べ、だけどどうしても杏仁豆腐が食べたくて欲張って杏仁豆腐も食べ、そもそもお土産に買っていた苺大福を祖母がやっぱり食べなかった(レジでお金を払いながら薄々そんな気はしていた)のでわたしがふたつとも食べていたためにお腹はまったく空いていなかったのだけど、疲れているととにかく食べてごまかそうとするいつもの癖なのだった。
家に帰ると母はおばさん(母の義理の姉)に電話をかけ、今日の報告などをし、そうしておばさんのお母さんがどうやら認知症のようで最近こうこうこんなことがあって、などということを話していた。
老いは順番にくる。生きている限り、避けては通れない。
さっきお風呂から出てSNSを開いたら知り合いのミュージシャンが生きるか死ぬかの緊急手術を乗り越えていたことを知った。方や別の友達は間もなく一歳になる娘のかわいい写真を幸せと感慨に満ちた言葉とともにアップしていた。幸せに罪はまったくないけれど、きのうからのかなしさも相まってひどく居た堪れない気持ちになった。
どうして悲しみも苦しみも痛みも幸せも、平等ではないんだろう。どんな人生にも悲しみも苦しみも痛みも幸せも必ずある、それはそのはずだと思う、でも、その比重には「本人の感じ方・考え方次第だ」とか、そんな陳腐な理論では片付けられないくらいの幅がある。そのことを思うとかなしくてくるしくていたくて、美しいはずの幸せもなんだかひどく歪んで見えるのだった。
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