5月25日
夏か、夏なのか。ついに日傘を刺す。サングラスとマスクの相性の悪さについて。去年はどうしていたのだっけな。
この間某現場で某シンガーが生活の柄を歌っていたのを聴いたらわたしも久しぶりに歌いたくなりだけどちょっとうろ覚えで、聴き直してみようと思えばSpotifyにはなく、そうして高田漣のアルバムを初めて聴くなど。今朝。いいなぁ。いくつかカバーしよう。
やることはまぁまぁあるけれど、締め切りらしい締め切りのないようなものばかりなので何となくのんびりしている。ぼーっとする時間を持てている。ゆっくり湯船に入ったり、ストレッチしたり、本を読んだり、音楽を聴いたりラジオを聴いたり(TENDOUJIのオールナイトニッポンをタイムフリーで夜な夜な飲みながら聴いた、下らな過ぎてとても元気が出た、TENDOUJIのことはずっと好き今度ライブに行く楽しみ)、こんなことしてていいのだろうかという焦燥の気持ちが奥の方から湧いてくるが、生活とは本来そういうものなのではないか、と思い直す。
忙しいときは勝手に忙しくなるから、のんびりできるときはのんびりする。それってすごく贅沢なことじゃないか。すぐバタバタしはじめるのだどうせ。
わたしはいま多分少し落ち込んでいて、こうなったらいいなと思っていたことがそういう風にならなくて、でも別にそんなのは大したことではないと自分の中で片付けようとしていたけれど、でもやっぱりちょっと凹んでいるのだなぁとそこここで実感することがあり、だからやっぱりそういうときはちゃんと落ち込まなくてはいけないなぁと思う。落ち込むことを自分に許す。情けないかっこ悪い自分であることを許す。そういうこともあるよね、
孤独とかさみしさとか。強がるのはなんかもういいやと思う。もう少し人間らしいNozomi Nobodyであってもいいよな、と最近はちょっとずつ思っている。
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