日記じゃないやつ - 自己愛その他

わたしが大至急取り組むべき直近の課題として、自分を愛する、許す、受け入れる、ということがある。これはun/baredのVol.0でも散々書いたことだけれど、あれから1年半が経ったいまも結局ぜんぜんちっともまるで出来るようになっていないのではないか!

とか思うと本当に絶望しそうな想い。最近はいろんなことにすぐ絶望しそうになる。呼吸がなんだか浅くて苦しいのだ近頃。

自分を愛せていないとなにをするにも自分を疑ってかかることになる。これというのは大変にしんどいことだ。あぁでもやっぱり一時期よりはすこしマシなのかなという気もする。この数年を振り返ってみると。

最近はなるべく自分を責めないようにしている。深夜にマフィンを2つ食べても、ちょっとしたことで拗ねて眠れなくなって明け方まで起きてひとりでワインを飲み干しても、仕事終わりなんとなくビールが飲みたくなってつまみに柿の種のふつうのチョコがコーティングされているのの2種類とついでにコンビニスイーツ(複数)までカゴに入れてその日のうちにひとりで全部平らげても(あぁ飲食にまつわることばかり)。歯医者に二回連続で遅刻したら診察してもらえないというたいそう情けない出来事があっても(そういえばその後まだ予約を入れ直していない、先生はにこにこしていたけれど受付のお姉さんはこちらを見てもくれずちょっと行くのが怖い、ので別の歯医者に行くことも考えるがここは逃げてはいけない気がしている、なんとなく。明日こそ電話しよう。と思い続けている毎日)。

例えば今日は一日家にいられる日だったので、原稿をやり、その他もろもろを少しやりながら、途中本を読み、少し昼寝をし、あと大豆のおやつ(水で戻した大豆をスパイスなどで味付けしてオーブンで焼く。おつまみ的なやつ)と豆腐のチョコムースを作るなどして過ごし、夜はウェブ会議(2時間超、いつも本当に長い)など。本当は買い物に出ようかと思っていたけれど、外が大荒れだったので出る気にならず断念。でも今日は買い物に行ったところでお酒と大して食べたくもないおやつなどを買っていたような気がするからまぁいいでしょう。

そう、えっと、例えば今日のような日に、自分の時間をどう使うかという選択においても、わたしはいちいちとても迷ってしまう。自分の選択に自信が持てない。原稿を書くより曲を書いたほうがいいのではないか。本を読むより映画を観たほうがいいのではないか。昼寝なんてしてる場合じゃないのではないか。とか。そんなことをいちいち考えてしまう。

「〜したほうがいい」

という考え方がそもそも本当にまったくおかしな話だなと思う。したほうがいいって、誰が決めるんそんなの。愚問だ。わたしだ。それ以外にあり得ない。誰に見せるでも誰に知られるでもないまったくの個人的な小さな小さな決定の基準を、どこか自分の外側に置いているようなところがある。わたしには自分がないのか。だけど実際そう感じることはままある。どうしようもなく空っぽ。わたしの体の中はすとーんと、自分自身が抜け落ちた空洞で、自分の中にあるそれに自分自身が真っ逆さまに落ちていく。どこまでも、どこまでも。

間違えることが怖くて怖くて仕方がないのだな。いつも奥の奥では「完璧じゃなきゃ」「そうじゃなきゃ許されない」と思っている気がする。そうじゃなきゃ許してもらえずにきたのだろうか。完璧であったことなんてただの一度もないのに。気の毒ないつかのわたしよ。間違えてもいいよ、失敗してもいいよ、ダメでも全然いいよ、となるべく自分に言ってあげる練習。日々の訓練。

そしてさ、自分に優しくできないとひとにも優しくなれないのだと最近つくづく思うのだ。

今日はきのう作ったぽんかんマフィンの残りと、おととい作ったにんじんマフィンの残り、それから冷蔵庫に残っていたかぼちゃのサラダ(カレー風味)に豆腐でつくったホワイトソース的なものと冷凍してあったトマトソースとチーズ(まりちゃんがきたときにピザを作った残り)を乗せてオーブンで焼いたやつ、あとりんご、大豆のおやつ、豆腐のチョコムースを食べた。一日家にいると一日中食べている。本当にずっと、食べている。でもいいんだそれくらい。死ぬわけじゃないし、極端に太るわけでもないし。歯磨きは一日に何度もしなくちゃいけないけど。まぁそれくらいは仕方ない。あぁ歯医者。

いいよ、いいんだよ、全然、ぜんぶ、いいんだよ

とここまで書いてun/baredを読み返したらけっこう良いことを書いていた。自分をちょっとだけ褒めてから、また原稿を書こう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?