5月19日
反省も後悔も自分を責めることもしたくないなーと思いながら起きた。きのはどうしてみんなが当たり前にできることが自分にはできないのだろうか、ということを鬱々と考えながら帰宅してなんだかひどく落ち込んだ気持ちで、今朝もそれを引きずっていたけれど、でも自分なりに素直に誠実であろうと努力をした、頑張った、それでいいじゃないか、と思い直したところ。雨。
一昨日の夜は下北にいたらあっちにもこっちにも友達がいて、あっちにもこっちにも顔を出して、たくさんの人に会って、久しぶりに会う友達や会いたかったひとや、たくさん話が出来て楽しくて、なんかそういうのも久しぶりで嬉しくて、そうしてまた思うこともあったからきのうはそのことを朝からゆっくり書いたけれど、でも詳細を書くことでもしかしたら大切な人たちに迷惑をかける結果になる可能性もゼロではないな、と胸がざわざわしたのですぐに下書きに戻した。
わたしは自分の影響力はせいぜい3くらいだという自負というか自覚があり特にnoteなんてわたしのことを気にかけてくれている数少ない優しいひとたちだけが見ている場所だし、だから大抵のことは受け入れてもらえるだろうと思っていろいろ気兼ねなく書いているけれど、人前に立つことをしている友人たちの名前や場所の名前や、そういうことを書くことで飛び火してしまう可能性はやはり全然ゼロではなく、そこに対しては常に気をつけていなくてはいけないという意識はある。特にいまは、なにが正しいとかダメとか、いろいろな見方や制約が本当にたくさんあって、自粛警察とかネトウヨとか呼ばれるようなひとたちはそこら中にいて、本当に不自由だなと思って憂鬱になった。けっこういい文章だったと思うのだけど。でもオブラートに包んで書き直す気にはならなくて、仕方がない。
この間可能性についてフラットでありたいと書いたけれど、それは過ぎ去ったことに対しても同じだな、ということをさっき思った。何がいけなかったのか、どうしてこう出来なかったのか、あぁしていれば良かった、とか、振り返ったときに思うことなんて数限りなくあるけれど、でもまぁ、そういうことだったのだな、と思うこと、とかね。考えても仕方のないことを考えることはなるべくやめたいなと思う。ご縁とか、タイミングとか、自分ではコントロールできないことばかりなのだし人生なんてそもそも。
話は戻るけれど、こうして日記を書くにしても、SOSやWNCに参加するにしても、この一年は売れてなくてちょっと良かったというか、売れていたらもっといろいろがよっぽど大変だわと思うことも多かった(もちろんもっと自分に影響力とかいろいろの力があったらと思うこともそれと同じかそれ以上にあったわけだけれど)。好き勝手に自分だけの責任においてあれこれの選択ができるし、特に失うものもない。だからわたしはこの一年、わたしがこの一年やってきたことがやれたと思う。それは本当にそうだと思う。売れているひとは大変だなぁといろいろなひとを横目でみながらそういう中でじゃぁ自分の役割は何なのだろうということを自問自答しながらあれやこれやをしていた。誰にも知られていないからこそできることもあるし、でもたくさんのひとに届けなくちゃいけないことも沢山たくさんある。いずれにしても自分の言葉と言動に責任を持たなくてはいけないことに変わりはないけれど。
だけどもし、このnoteが沢山のひとに見られるものになったとしても、オブラートに包んで書くようなことはしたくないなぁと思う。そんなんなら書かない方がよっぽどマシ。意味がない。誰かを傷つけてしまうようなことだけは書かない、そこは絶対にこれからも気をつけ続けたいと思うけれど、もっともっと、ますます率直でありたい。
タイミングとかご縁とか、いろいろ考える。広い心でありたい。さらさら水のようでありたい。今日は午後から打ち合わせ。
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