12月6日
ずっと不思議なのだけど、音楽を作っているとわたしはいつも眠くなる。例えばばーっと歌詞を書いたり、あるいはメロディーと言葉が一緒に浮かんできて曲ができたり、もしくはいろいろ絞り出そうとしてもなにもでなかったり、そういうとき、ふっとぐーっと眠くなる。これは文章を書いてるときには起こらない現象で、対象が音楽のときだけ現れる。きのうは歌詞を書いていて、やっとちょっと言葉が繋がりはじめてノートにたくさん書いて、曲に当てようとしたけれどうまく当たらなくて、うーむとなって、そうしたらいつもの眠気がやってきて、椅子に体育座りをしたまましばらく眠っていた。実家でも世田谷の家でも、そんなふうにしてわたしは床で眠ってしまうことがよくあった。
あれこれ言ったって、つべこべ言ったって、結局は黙って粛々とやる以外はない。から、そうする。これまでだってずっとそういうふうにしてきた。失敗とか恥をかくことはいつまで経っても怖いけれど、そんなことを心配していても仕方がない。誰にもなにも結局はわからないのだから。
おとといは従兄弟の結婚式だった。夏の予定だったのが数ヶ月延期になり、規模を縮小して親族だけの小さなお祝いの会だった。母方父方と見回してもいとこの中で一番歳が下の男の子で、だけど母方のいとこチームの中では一番はじめの(そしてもしかしたら最後かもしれない)結婚式だった。立ち姿がとても凛々しく、そして最後の挨拶がおどろくほどに立派で、なんて素敵な青年なのだろうと思った。
結婚式場で、挙式と披露宴と、というようないわゆるスタンダードな結婚式はとても久しぶりで新鮮な気持ちだった。配慮が行き渡っていて終始居心地がよかったけれど、それでも家父長制の考え方や風習に基づいた形式に違和感を覚えざるを得ず、こういうものもだんだん変わっていくのだろうなということをぼんやり考えた。
泣いて喜んでいた祖母が「参考にしないと」というようなことをわたしに言い、わたしは結婚というものを生涯しないかもしれないし、したとしても結婚式はやらないと思うよ、ということを、でも口にはせず曖昧に笑って答えた。孫の結婚式と、それから来年はじめには初めてのひ孫も生まれる予定だから、それぞれを一回ずつ経験ができれば、該当者が自分ではないにしろとりあえずは孫チームとしての役割を果たせた、という気持ちで少し安堵。祖母の望むような(なにを望んでいるのか訊いたわけではないけれど)孝行はできないが、わたしはわたしらしく生きるよ、ということを思った。
久しぶりに袖を通したパーティードレスは思ったよりも似合わなくなっておらずよかった、と思ったけれど、でもやっぱり今回で最後かなという気がしているから、フリマアプリに出そうかと考えている。
ふと顔が思い浮かんだ鹿児島の友達に手紙を書いた。毎年悩みながら買わずにきたユヌクレのシュトーレンをえいっと注文した。師走。ここ数年はべつになんとも思わなかったけれど、今年はなんだか信じられないような気持ち。今年と去年の記憶がごちゃまぜになっていて、今年自分がなにをしたのかいまいちよくわからない。でもだから日記を書き続けてきてよかった、と思う。なるべく宿題を残さず来年に迎えるようにしゃきしゃきしたいところ。チョコレートケーキを焼く。これから。
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