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大きくなったら自然と「おかあさん」になるんだと思ってた

こんにちは。のぞみです。

ちょっと仕事がひと段落したので、ひさしぶりにゆっくりnoteを書こうと思います。結婚や出産の話なので、いやな気持ちになりそうな方はUターンをお願いします。

「のぞみは結婚願望ある?」


なんだか最近、将来のことを考える時間が増えた気がする。

これからの仕事も、結婚も、出産も、長生きする気がなくて視野に入れていなかったライフイベントたちが、急に現実味を帯びてきた。

どうしてかというと、たぶん、絶対に、パートナーができたからだ。付き合う前にパートナーが、結婚願望があるか聞いてきた。それからずっと、ぼんやりと考え続けている。

結婚しないという選択肢


前のひとと付き合いはじめたときは、あたりまえのように結婚するもんだと思っていた。当時結婚について話題を出したら「ずっと一緒にいたいとは思っているけど、結婚という形になるかはわからない」と言われたのが衝撃で。

え、付き合ったらそのうち結婚するんじゃないのか、と思った。ちょうど大学院の同期が「結婚をする意味がいまのところ特にない」と話していて、それも衝撃だった。

そうか、結婚しなくても一緒にいることはできるのか。えー、結婚しないのか、そうか。うーん、なんとなく結婚がゴールのような気がしていたんだな。ニュースでも結婚することをゴールインとか言うし。

結婚ってなんなんだ。結婚したらなにが起きるんだ。なにが変わるんだ。生計を一にするとか、そういうのじゃなくて、名字が一緒になるとか、そういうのじゃなくて、なんかもっとあるんじゃないのか。

昔描いていた理想の未来


おとなになったらいつのまにか結婚して、いつのまにか赤ちゃんができるんだと思ってた。いつのまにか孫までできるんだと思ってた。ひ孫まで見れたらラッキーって。

運命のひとというやつがどっかのタイミングで見つかって、痺れるような恋?だかなんだかわからないけど、ドキドキが止まらない刺激的な毎日を過ごして、ある日夜景がきれいなレストランでディナーしてるときにパカッと指輪の箱を開けてプロポーズされるんだと思ってた。

結婚してすこししたら妊娠が発覚して、おめでとうございます!ってお医者さんと看護師さんに言われて、家族や親戚や友達みんなにお祝いされて、みるみるおなかが大きくなって、かわいいしわくちゃの赤ちゃんが産まれて、またみんなにお祝いされて、川の字で3人で寝るあれを毎日やるんだって。

「リスク」だらけの現実


でも薄々、実際はそうでもないらしいとわかってきた。付き合ってるあいだにこっそり浮気してるひとがたくさんいたり、婚約までしてもいろいろな事情で破棄になったり、

赤ちゃんはだれにでもできるものではなかったり、おなかに赤ちゃんがきてくれても元気に育つかどうかはわからなかったり、

出産のときにおかあさんが命がけだったり、産まれて何年かは死亡率がすごく高かったり、

おとなになれないこどもがたくさんいたり、おとなになってもいろんな理由でふと命を落としてしまったり、

数えきれないほどの「リスク」というやつがあるらしい。常にわたしたちの生活につきまとって、いっときも安心させてはくれないような。

うちで言えば、お兄ちゃんは27のときに死んでしまった。わたしと8個上のお兄ちゃんのあいだには、先天性の病気をもったお兄ちゃんがもうひとりいたらしい。その子は産まれて2ヶ月くらいで亡くなったと聞いた。親戚のおうちでも、おなかにいた赤ちゃんが亡くなったと聞いた。

Twitterやテレビを見ていても、かなしいニュースに溢れてる。今日もだれかの命日なんだろうな、と思うときがある。毎日がだれかの誕生日であり、だれかの命日なんだ。

大切なひとって、いないほうがいいの?


じゃあ、もう無理だ。大切なひとができたら、失うリスクがあるから諦めよう、となれるだろうか。失うものがないから強いとか、よくアニメやドラマのキャラでいるけど、どうなんだろう。

いまのわたしには、なにが強さなのかとか、どっちが強いとか、どっちがいいとかはわからない。けど、わたしは大切にしたいひとがいたほうが毎日楽しい、ということはわかる。

いないより、いたほうが楽しい。そのぐらいの気持ちでもいいんだろうか。もし浮気してたらどうしようとか、わたしのことすきじゃないんじゃないかとか、そんなことばっかり考えて一緒にいたくない。

ましてや、いつか別れるんじゃないかとか、このひととは結婚できないんじゃないかとか、このひととはこどもができないかもしれないとか、まさに杞憂というやつじゃないか。

いまお互いすきで付き合ってるんだから、それでいいと思いたい。

「いま」のわたし「たち」の理想の未来


話は戻って、パートナーは29歳で結婚すると手相占いのおばあちゃんに言われたらしい。わたしはそのとき28歳。晩婚化時代の昨今では、もしかしたら比較的早いほうになるのかもしれない。

こどもはいまのところ3人ほしいらしい。わたしはもともと身体がめちゃくちゃ丈夫なわけではないから、35歳までには出産は終えたいなというイメージがうっすらあった。母がわたしを35歳で産んで、結構つらかったと言っていたのを気にしているだけだけど。

あとは、ハネムーン期というやつを体験してみたかった。結婚してから1年とか2年とか、ふたりで新婚を楽しむ期間がほしいなあとこれもぼんやり。

そうしたら、こども3人が全員年子にならないか?いや、それはこたえそうだ、もうすこしはやく結婚したいよね。わたしが27歳ぐらいはどう?28、29と新婚を楽しんで、それからこどもができたらどうだろう。

そうひと通り話し合ってから、結婚というものがあと2年に迫っていることに気がついた。やばいね、もうすぐだね、と言う彼。

結婚がゴールじゃない


不安な気持ちじゃないかな、ということが心配だった。将来のことばかり考えて不安になるなら、考えなくていいから、いまの楽しい時間を一番楽しく過ごしてほしい。

いつかどこかで、なにかの形で分かれ道になったとしても、楽しかったな~という気持ちが最後に残るひとになりたいと思った。

このままサイコロを振って「27歳で結婚」というコマにたどりつくかはわからないけど。「こどもが3人」というコマにたどりつくかはわからないけど。常にふたりであったかくてやさしくて楽しい未来を、ずっとシェアしながら暮らしていけたらいいなって。

自然と結婚できるわけじゃない、自然とおかあさんになれるわけじゃないとわかったからこそ、結婚するって決めたらわたしが宇宙イチ幸せにするし、こどもができたらふたりで宇宙イチ幸せにしようね。

「結婚という選択肢になるかはわからない」ということばが、いまになってやっと理解できたような気がした。


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