大切な人を偲び、"これから"をどう生きていくか考える —— わたしがshinobuを始める理由
祖父、兄との死別で感じた「蓋をしたい感情」
高校2年の4月に祖父が亡くなったとき、わたしは深い後悔に苛まれました。肺がんで7年闘病し、「いよいよだめかもしれない」と入院した祖父に、もっと会いに行けばよかったと。初めて身近な存在に死が迫っている状況が怖くてたまらず、なかなかお見舞いに行けなかったのです。
勇気を出してお見舞いに行った日に、「全然来ないじゃないか。俺のことなんかどうでもいいんだ。」と弱々しい声で言われたのが忘れられません。強くたくましい大黒柱だった祖父の、痩せ細り弱った姿を直視できませんでした。
聞いておきたいこと、伝えたいこと、たくさんあったのに。「じいじのこと大好きだよ」と煙たがられるぐらい何度も伝えておけばよかった。
大学1年で兄が亡くなったとき、さらに複雑な感情に直面しました。頭が良くて天然で誰からも愛される存在だった兄が、自ら命を絶ちました。なんとなく一緒に歳を重ねていくと思っていた存在の突然の死。
その事実に対するショックに加えて、なぜか兄を羨ましく思っている自分にも気がつきました。みんなに惜しまれ、忘れられない存在になり、大事にされ続ける兄が羨ましいという感情を、醜く感じました。
「どうして自分のような価値のない人間が生きていて、兄のような優れた人が死ななければならなかったのか」と自分を責めたり、社会に対して怒りを抱くこともありました。
兄が大好きで大事だからこそ、自分だけが生きていることが受け入れられない。自分よりも兄に生きていてほしかった。そんな当たりどころのない気持ちに溺れかけるときもありました。
時間が経つにつれて、別れに対する痛烈な悲しみや苦しみは少しずつ薄れていきました。それと同時に、痛みを感じるほど鮮やかだった感情が薄れていくことに対して、自己嫌悪感が増幅。「わたしは兄のことを忘れているのではないか」「兄のいない世界が当たり前になってしまっているのではないか」と感じ、兄を大事に想っていないような気がして苦しくなりました。
偲ぶ時間、花を選び供える時間
このような葛藤のなか、わたしは仏壇にお線香をあげる時間やお墓参りの機会を大切にしてきました。兄の好きだった黄色の花を選び、お墓やお仏壇を綺麗に掃除して、手を合わせると心が安らぎます。
これが故人と繋がっている時間であり、故人を忘れずに大切に想っていることを確認できる瞬間です。時には自分への贖罪のように感じることもありますが、記憶が薄れていくことにどう向き合うか、そして故人との思い出をどう語り続けていくかが、わたしにとっての大きなテーマになっています。
兄が亡くなった歳に追いついたわたしは、「偲ぶ」という行為は単に過去に囚われるものではなく、これからをどう生きるか考える時間だということに気がつきました。
大切な人の死を経験して、わたしたちは自分が「生きている」ことを実感します。苦しいなかでもがきながら、自分の生き方や在り方を見つめ直す機会を得ているのではないでしょうか。
shinobuは、そんな「いまここ」にある自分の感情に居場所を与え、「わたし」をどう生きていくか考えるための場所です。
花という象徴的なアイテムによって、故人に対する想いと繋がりやすくなり、自分の感情を素直に話すことができるのではないかと考えています。故人について語り、思うままに花を選び、故人を偲ぶなかで自分の人生に立ち返る場を提供します。
死を無かったことにしようとする社会の流れに対して
近年、AI技術やホログラムを用いて、死者との対話を試みたり、死を「無かったことにする」ような技術が登場しています。
最愛のひとを失う恐れ、幸せに終わりが来るという虚無感、死を回避しようとする動きは理解できる一方で、わたしは強く思うのです。死があるからこそ、生があると。
生と死は表裏一体。命が有限であるからこそ、わたしたちは今を大切にし、生きている時間に価値を見出すことができると感じています。死を無視したり避けたりするのではなく、死を受け入れることが、逆に生を豊かにすることに繋がるのではないでしょうか。
そう考えると、shinobuは故人を偲ぶ場所というだけではなく、死生観を見つめ直し、自分の生き方を再定義する場所にもなることができると信じています。
shinobuの存在意義
わたしがshinobuを通じて提供したいのは、ただ「思い出す」だけの場所ではありません。大切な人の死を通して、自分自身の生き方を見つめ直し、「自分はどう生きたいか」に立ち返る体験です。兄の死について語るなかで自分の生について語ってきたように、死を語ることは生を語ることだと思うのです。
第三者のほうが語りやすいことも、たくさんあると思います。実際、兄の死で両親や祖母はわたしよりもずっと苦しい思いをしているかもしれないと思うと、気を遣って話せませんでした。どれだけ仲の良い友人であっても、死後何年も経ってから今更相談するのは気が引けるところもありました。専門的なグリーフケアとなると「そこまでしなくてもいいか」と敷居高く感じたこともあります。
「普通に生活はしているけれど、時々立ち止まりたくなる」そんなときに、気軽に通える「花屋」という店構えで、自分の感情を味わい、故人との繋がりを再確認しながら、自分自身と対話できる場所がshinobuです。故人との物語を語り直すことで、未来に向かって一歩踏み出すきっかけになればと考えています。
故人との思い出は、時に重く感じることもあるかもしれませんが、shinobuではそれを軽やかに大切に語り合える場を作りたいと思っています。記憶が薄れていくことを「悪」と捉えるのではなく、起こることすべてをありのままに認め、ともに歩む道を見つける手助けをすることが、shinobuの役割です。
【※締め切りました】インタビューのお願い
shinobuが目指すのは、誰もが自分の物語を何度でも語り直せる居場所をつくることです。大切な人を偲ぶことが、あなた自身の生き方を見つめ直す時間になり、これからをどう生きたいか考えるきっかけになれば嬉しいです。応援よろしくお願いします。
この事業は、次世代女性起業家ピッチコンテスト NEXT FOUNDERS 2期に参加しています。
まだ「アイデアがあるだけ」のshinobuを応援したいと思ってくださった方へ、あなたの大切な方との死別に関するインタビューにご協力いただけないでしょうか。どなたとの死別か、どのぐらい前なのか、何歳の頃か、全く制限はありません。30分から60分程度で、10月中にお話ができる方はXのDMにご連絡いただけると嬉しいです。
Xアカウント → こちらから
※ 死別直後の嵐のような感情のなかにいる方は、今回のインタビューはご遠慮いただいております。まずはゆっくり心と身体を休めて、少しずつ日常を取り戻していくことができるようお祈りしております。