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うすい頭蓋のとじる音が年老いた鹿を眠らせる
重い持ち手になみなみと上流の水をこらえて
透明なまなざしの増す集落に差しかかると
小山を降りアナグマの憂いを負う驟雨が
稲穂の群れを濡らし

最上町
まるまるとした岩が集まる露天風呂に浮かぶ
峠から稜線まで黄色い半月の羽毛で覆われ
いくらか手足の痺れは和らぐ
日差しの濃さに喉を渇かせた蜂が来て
稲妻とばかりに湯の熱さにおののく
素肌に滴る水滴を血走った複眼がとらえ
鋭く飛びまわった彼の痛苦を
湯気を放つ首のまわりに引き受けた
藍色の髭を生やす空気が
じっと休むふたつの影と話し合い
それぞれの領域へ引きあげる
刺された場所はわずかな血を乗せるだけ
腫れさせはしなかった

腹のなかに
何枚も皮を剥かなくてはならない夕暮れがいて
紅葉しかけの緑のかぶさる川沿い
踏みしめるものは流すわけにゆかない
一日になりそこねた日没が頭上高く
暗がりを赤々と揺らす
沁みる咀嚼音の底 
水中に沈んだ郵便ポストから
谺がかえってくる

忘れない
本能から山の気が晴れて
千の宇宙を竹の花に変える
ひと夏の朽ちた巣穴の奥
ひんやりと湿った墓碑をかさつく前脚でなぞり
見聞きしてきたものごとを
みみずとして這えば熱された舗道でひからび
空になれば肥えた雲を山々の向こうへ急がせ

忘れない
狂奔する黒い鬣が業火となって
押し寄せる後ろからきみの眼を貫いたこと
矢じりに塗られた毒に全身を焼かれても
芒の囁きがまじる風にさらされ
青褪めた末期の頬をかすかに緩めて
膝から糸の切れた瓔珞の
屍肉を獣たちに分け
陽光を蓄えた土へ形はほどかれ

婚礼間近の村へ落ちずにすんだのに
代々守ってきた水源をうしない
一列に並べられた若者の
皺よる顎のあどけなさ
満天から離れてつわものにされ
願いのまま燃え尽きなかった身で
蝉の死骸をいつまでも数える

点在する廃屋でなおいで湯が湧き
湯水を吸う草木は腐りかけの床を破って伸びる
着くという途上で行かなければに消えてゆく
また終わらなかった根を瞬間うるおす
人間の身振りを一切置き
ただの石ころへ戻るのに
もとめたのは両腕の軽さではなく

まぶしい傷を内側から耕す
途切れてはあらわれる無数の道で
出会うすべてのものの息になりたかった
彼方を目指す虫の引力を帯びた単眼の先
苔のうえに金色のいがぐりは転がり
自身ですらわたしと人違い
さえも裏返し
世界を決して訪れない鳥はいるように囀り
もう一度バケツをカラにする
膨脹する伝わらない種子が
落葉目立つ乱れの裏道から
立ちあがったばかりのか細い後ろ脚に
棘を逆立て喰いついてゆく

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