共有するひとりごととして
こんばんは。昨日は随分と肌寒かった。昼間は芝居の稽古で、メンバーは全員来ました。今回は作・演ではなく役者としての参加なので、一役者としての伝達のみでどれだけ参加してくれているメンバーの「今」にアウトプットできるか……そればかり考えていました。
実は2週間前あたりかな、厳密に言えば9月……は、どのような視座でまなざしたにせよ生死に関わる決断が迫られた月でした。長期的な視点で感情的にならず自身の様子をみてゆく……現在はそのような心境でいます。色々と自分なりに分析し問題が起きたとき細かく分けながら言語化することで把握されるものごとがある。少なくともわたしなりに「行動すること」で捉えなおせつつある「はじまり」があるように思う。なにやら漠然としたものの言いようで申し訳なく。自身の様子をある程度見定めて、もう少し落ち着いてきたらあなたにきちんと伝えます。最近、芝居仲間との稽古であるメンバーにこれが必要かなと思って、「鏡の花」という体験を共有しました。ここがわたしの原点。
あなたのことについては余白を多くあえて作っています。詩であれば説明は不要ですが、あれはひとつのルールとして記載しており、つまりそのルールの中ではあなたは、他の人たちは何をしてもよい。故に何もしなくともよい。
SNSというのは傾向があるけれどもある意味「鏡の花」だと思う。ある時は占いだし、思考よりどうやってもずれてゆく「今」へ剥き出しの感情があらわれやすい。書くもの書かないもの、反応するものしないもので、それは明確だ。なかなか自覚しないと何もわからない世の中です。
もう10月か、はやい! もう今年はほとんど記憶がない、という体感。あなたは、どうしていますか。