修学旅行の思い出づくりにこだわりすぎて、学校のルールを変えた中3の話
校則と聞いて、まず頭に思い浮かぶものはなんだろう。
「中3にならないと、ジャージのチャックを全開にしてはいけない」「部活で先輩より先に水を飲んではいけない」
わたしはこういう生徒同士の独自ルールを、真っ先に思い出す。今となっては謎ルールでしかないこれらに、中学生ならではの愛おしさを感じるからだ。
それと、あともう1つ。自分から動いて、学校のルールを変えた記憶もある。中学のとき、納得できない修学旅行のルールを変えたのだ。
生涯一度も学級委員すらやったことがないのに、なぜかわたしは修学旅行実行委員長になった。そして先生に抗議して持ち物のルールを変え、安全管理的にいいの?とつっこみたくなるような、学年全員で夜の奈良の街にくりだす肝試し企画を通した。
あの頃を思い出しながら、少し書いてみたいと思う。
すてきな思い出づくりには整髪料が必要だった
はっきりと覚えていないが、中3のわたしは、異常なまでに修学旅行のすてきな思い出づくりにこだわっていたのだと思う。
修学旅行の持ち物ルール「整髪料禁止」が、とにかく納得できなかった。
中学校の修学旅行。それは一生に一度の青春イベントなのだ。すてきな思い出づくりのために髪型をきめることは、当然、必要不可欠だ。
そもそも普段学校に行くときは、家で整髪料を使うことは禁止されていなかった。それがなぜ修学旅行になると禁止されるのか。すてきな思い出づくりの基礎は髪型を整えることでしょ!と憤った。
いや、今となっては先生の気持ちもわかる。当時の中学校は、1学年5クラスもあった。1クラス40人くらいいたのかな‥
200人もの中学生を引率した旅行なんて、正直大変すぎる。
生徒が派手な髪型にして、旅先でからまれることは防ぎたいと考えると思う。引率の人手にも限りがある。なるべくトラブルになりそうなことは避けたいはず。「とりあえず、整髪料とか禁止」にしておきたくなる気持ちもわかる。
もしくは単に「昔からそうだった」というだけなのかもしれない。先生たちからすると「え?整髪料って、そんなに重要だった‥?」という、びっくりポイントなのではないか。あえて変える必要性を感じなかったのかもしれない。
でも、修学旅行ではおしゃれがしたいのだ。おしゃれして、かわいい姿・かっこいい姿で写真を撮りたいのだ。
すきなひととの距離が、一気に縮まるかもしれないのだ。そういうチャンスがゴロゴロしているのが修学旅行なのだ。
ぜったいに、自分的に1番いい感じの見た目で旅行がしたいのだ。
旅行中は、ワックスで髪型セットしたいでしょ!!
わたしはなぜかそこに当事者意識を燃やした。
修学旅行実行委員長に立候補。「整髪料を持っていっては行けないルールは納得できない」と交渉を開始した。先生たちからしたら、あなたそんなキャラだった…?って感じだったと思う。
たしか、こんな提案をしたと思う。
我ながら、2つ目の「禁止事項を変える提案」がヒットしたように思う。学校ではOKなのに旅行中はNGというルールに、正当な理由づけをすることは難しい。先生たちも取り入れやすかったかもしれない。たぶん。
整髪料の問題は、こうしてクリアした。
映えはいつでも重要だ。
合法的に特別な夜の思い出をつくりたかった
当時のわたしは、もっと思い出をつくりたかった。写真だけよくても物足りない。もっともっと、特別な思い出をつくたいと考えていたのだと思う。
修学旅行の特別な思い出といえば夜だ。
しかし、修学旅行生の消灯時間は、とてつもなくはやい。消灯後も部屋では恋バナが続くが、先生たちの監視(?)をくぐり抜ける非合法な思い出だ。なんとか合法的なイベントで、特別な思い出をつくりたかった。
それが、肝試し。
夜に街を出歩けたら、めちゃくちゃたのしいでしょ!!
修学旅行の公式イベントとして、肝試しを企画した。
ホテルの近くには、ちょっと不気味な池があった。その池にまつわる怪談話をオリジナルで作成。ホテルで怪談話を聞いたあと、班ごとに夜のまちに繰り出すイベントにした。
怪談話は、一番怖い体育の先生に朗読してもらった。旅行で浮足立ったみんなが1か所に集まって、静かに話を聞くとは思えなかったからだ。シーンとした状態で、集中して話を聞かないと、怪談は怖くない。生活指導も担当する、だれもが怖いと思っていた先生なら、みんなもおとなしく話を聞くと考えた。
肝試しコースには、お化け役の生徒が待っている。家から浴衣を持ってきてもらう気合いの入れよう。唇から血の気をなくすコンシーラーや、目の周りを青くするアイシャドウを持っていって、おばけマイクもほどこした。
そもそも整髪料も禁止だったのに、なぜこれらがOKになったのか、ぜんぜん覚えていない。企画ありきだったので、禁止する必要がなかったのだろうか…?
肝試しは、たぶん大人気だった。
修学旅行の最後。駅の前に集まって解散式があった。先生の長めの話のあとに、実行委員長からの一言という時間がある。
「みなさん修学旅行おつかれさまでした!じゃあこれで解散!」と一言だけ挨拶した。学年全員から、大きな拍手と歓声があがった。
これを、肝試しも満足度が高くて、すてきな修学旅行を企画した実行委員への賛辞だったと思っていたけれど…
「もう疲れててはやく家に帰りたいから、一言で終わらせてえらいぞ!」という意味だったのかもしれない。
校則は変わり続けるものだ、という新しい当たり前
ルールはある。どうしても必要なルールもある。でも、納得できない理由と改善案を提案すれば、無視されることはあまりないように思う。
それでも変えられないときは、きっとそこには変えられない理由がある。すぐ諦めたり不満に思うのではなく、その理由をまた聞いてみればいい。
そうやって対話をくりかえした先に、さらに他の改善案が見つかるかもしれないし、ルールに納得できるようになるかもしれない。
みらいの校則は、そのときそこにいる生徒や先生が1番必要だと思うルールに、対話を通じてつくりかえることができる。そうやって毎年「つくりかえる校則」。それが当たり前の世の中はどうだろう。
結構いいのでは?とおもう反面、やっぱり先生たちが大変すぎるかも‥
*いま学生のみなさんも、わたしのようにかつて学生だったみなさんも。ぜひハッシュタグ「#みらいの校則」をつけて、ワクワクする校則のアイデアをnoteに投稿してみてください!