社会福祉士国家試験を受けます
福祉の仕事が天職だと思ってた。
中学生の頃から将来は福祉の仕事をしようと決めていた。
高校は、父親(当時中学校の教員で進路指導をやっていた)が選んできた私でもいけそうな学校を母と一緒に見学に行き、その中でもボランティア活動が盛んだった高校に進学した。
高校の頃から土日はボランティアに励み、身体障害者・知的障害者とのコミュニケーションスキルだけぐんぐん磨いていた。
高校の先生から、四大を勧められたけど4年間大学に通う自信がなくて
短大に進学した。
とにかく早く現場に出たかった。
短大では、「非行問題研究会」というクソ硬い名前のサークルに所属し
医療少年院の慰問に行く日々を過ごした。
1年生の頃に卒業単位をほとんど取得し、2年生では必修だけを受けて
実習ばかり行っていた。
当時の私は「資格なんていらんわ!経験が全て」と思い込み短大で取れる資格も卒業に関わらないなら「いらん」と、とらなかった。
バカである。
母はあの頃から言っていた。
「資格は邪魔にならないから取っておけ」
ほんとそれ。
そうこうして、就職活動を始めて「四大卒」と「有資格者」の強さを知ることになった。
それでも
「資格?はぁ?なくてもいけるし」と思っていた。
本物のバカである。
短大卒で無資格(卒業時に「社会福祉主事(任用)」は取得)の私は
非常勤で働くことになった。
当時は授産更生施設と言ったが、今は障害者支援施設というのかな。
4年間、生活支援員をしていた。
4年間続けたのは任期だったということもあるが、のちに4年勤めた過去の私を褒めあげることになる。
4年働いた後は、他の福祉の現場も見てみたくなり保育士の産休代替をやったり、病院の清掃(介助系かと思って始めたら清掃だった)やったり、デイサービスで働いたりした。
そして、縁があって公立の小学校で働くことになった。
公立小学校の介助員や支援員なんて誰でもできる仕事だった。
資格も年齢制限もない。
大体がおばちゃんか教員を目指す学生がやっていた。
私のように「本気の人」はとても珍しかった。
私はたかが介助員という立場で全力で知識と技術を出して仕事をした。
先生にすら意見し、知的障害や身体障害、発達障害についての正しい知識を全力で広めようとした。
たかが介助員が。
そう、たかが介助員だった。
私の話を聞いて実践して、メリットを実感できた先生はその後も私を頼ってくれるようになった。
でも、やはりたかが介助員の話を聞いてくれる先生は限られていた。
社会福祉士の資格を取ろう。
そう思った。
資格があれば話を聞いてくれるかもしれない。
受験しようしたら、なんと受験資格に必要な単位を一つ落としていた。
やっぱりバカだった。
その科目だけを受け直すということはできないので、結局全て単位を取り直さなければならなくなった。
仕事をしながら専門学校の通信で勉強を始め、週に1回のスクーリングをこなした。
あ、施設に4年間勤めていたことで実技はパスすることができた。
実務経験としてカウントされるのか「4年間」だった。
2年や3年で辞めなかた私偉い。
本当に偉い。
自分に対する評価がブレブレである。
そして、無事受験資格を取得。
受験して
落ちた。
これが10年以上前の話である。
その後、2回受験した。
2回とも落ちた。
さて、学校内での立場はというと。
資格がないまま、私は私のポジションを見事確立した。
「資格?はぁ?なくてもいけるし」を体現してしまった。
が、専業主婦になった今。
このまま3回も落ちたままでいいのかという思いがぐるぐるしていた。
ちなみに、社会福祉士は福祉系国家資格の中で一番難しいと言われている。
だとしても、3回も落ちている人は珍しいかもしれない。
自分のためにフォローすると、社会福祉士の科目の中にも
当たり前のように数字が出てくるのでそれでいつも苦戦している。
試験は1月だ。
あと半年しかない。
後半年・・・と思いながら、先日本屋でテキストと問題集を手に取った。
夫に本当にやれるか不安だと相談したら夫が話し始めた。
「とても言いにくいんだけど。前回、受験した時もうちょっとで合格だったでしょ」
「あの時の希ちゃん、こん詰めて勉強している時もあれば、やらなくていいのかなって思う時もあったよ」
「あの時間、全部足しても半年分も勉強してないと思うよ」
・・・・・。
これは応援しているのか。
当時の私をディスっているのか。
「だからね、今は時間がある(専業主婦だから)からしっかりやれば受かると思うよ」
応援だった!
というわけで、勉強始めます。