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AIに文学作品は書けるのか
年末に向けて映画が公開ラッシュです。大型作品も多い中、平野啓一郎さんの原作をもとにした映画も先日公開されました。
作品紹介として、「近い未来の日本を舞台に、亡くなった母をAI技術でよみがえらせ、母の『本当の心』を知ろうとする青年の姿を描いた作品」と書かれています。
映画公開を控えた10月末、イギリスの人類学者、ジリアン・テットさんと平野さんの対談セッションを聞きました。テットさんがジャーナリストであり人類学者でもあるということと、著書『アンソロ・ビジョン』が面白かったからというのも参加のきっかけでした。
セッションでの問いの一つが、「AIに小説、文学作品は書けるのか」というもの。平野さんはAIの有用性を認めつつ、AIと人間の違いをこう言いました。
「AIは基本的に過去のものしか参照しないけれど、文学の大きな意義は人間がうまく言語化できていないことを伝えていくことにあると思う」
テットさんも人類学のあり方に言及し、
「もし人間が全く変化しない、他者との関係の中で影響を受けないというなら、データや数値だけで判断してもいい」
「人類学が目を向けるのは人々の”サイレンス”。つまり言葉にしないことを捉えていくことです。データは、ノイズは捉えることはできてもサイレンスは捉えないでしょう」
と言いました。
ビジネスの文脈に引きつけて言えば、実は消費者が長年使っているけれど、その製品には言語化できていない不満がある。ユーザー調査をしてAIで分析してもそれは顕在化しないけれど、人類学的なアプローチをとることで新たな製品開発のヒントが得られる……と言えそうです。
共通しているのは「見えないもの」が人間の中にはまだまだあるということです。
本日公開のこの連載でも、「AI時代には個性を持とう」と締めくくられています。先日冨山和彦さんもあるイベントで「これからはホワイトカラーじゃなくて料理人とか、専門職を目指そう」と話していました。その心は?ぜひこちらをどうぞ。
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