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「針の穴」を聴きながら

成長するとは、できることが増えることである。
できることが増えることなので、新しい物を取り込んでいくことが成長だと捉えてしまうこともある。
しかし「成長」とはできることが増えることなのだが、同時にやることを減らすことでもあるように思う。

「成長」の定義も人それぞれで、どう定義するかによっても異なってくる。
以前までは足していくことに目が行っていたので、できることを蔑ろにしてしまう傾向にあった。
できることを反復していくのは、停滞しているように感じられて、できることをやらないと決め込んでしまっていた。
できることをやらないと決めてしまうと、できないことに目が行くのだが、できないことばかりに目がいってしまうと自信がなくなってしまう。

まずはできることを見る、あるものを見る、自分を見る。その上で、伸ばしたいことは何かを考える。
自分を見ないで、欲しいものばかり追いかけていると、現実と理想の乖離が広がり、「まだ足りない、まだ足りない」と不幸な視点を得てしまう。

最近はバランスをとることの大切さと、難しさを改めて感じている。
「いまはどちら側に傾いているかな?」と問いかけながら、できることをきちんと回していきながら、進みたい方向における伸ばしたいことにも注力するようにしている。

毎日の反復の中で自分の進みたい方向へ、軸足を傾ける作業を繰り返している。最近では半年前に描いたありたい姿に、進んでいる実感を得た。きちんと考えていると、自分の描いた方向へ転がっていくんだと感じている。

その人生の舵を取る線の描き方が雑になってしまうことで、舵取りに付随する様々な場面で調和が取れなくなっていく。想像していた以上に繊細な作業だと気づく。気をつけすぎても足りないくらいでありながら、慎重になりすぎても前に進めない。

折坂悠太をの「針の穴」を聞きながら、針の穴に糸を通していくように、毎日をいかに慎重に生きていくかで自分の描きたい未来への道が作られていくんだなと感じている。

今私が生きることは
針の穴を通すようなこと
大しけの日 船の上で
針の穴を通すようなこと
今私が歌うことは
針の穴を通すようなこと
観客のない舞台上で
針の穴で踊るようなこと
今私が生きることは
針の穴を通すようなこと
稲光に笑っていたい
針の穴を通すようなことでも

折坂悠太「針の穴」歌詞より抜粋


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