有馬記念でお金有馬温泉にゃー
どうして人間はギャンブルに魅力を感じるのだろうか 学生時代に読んだ村上春樹のノルウェイの森には、ドストエフスキーの賭博者を引き合いに「人間は可能性が転がっているとき、それをやり過ごすことができないもの」とする考察があった 競馬は結果の流動性を鑑みるまでもなくギャンブルであり、のめりこみすぎると破産の危険がある 適度に楽しむとしても、可能性は常に転がっているので、適度に楽しむことがなかなか難しい
さて、ハンターハンターの連載もどうやら中断されたことだし、愉しみを探して、ここは華麗にアーバンシック(ルメール騎乗)の単勝に220,000円賭けようかと思うのだが、愚かだろうか いや愚かなのは分かっているが、人間は100%最善な行動を採り続けることは不可能だし(以前の投稿参照)、どうせあと100年も生きないのであるから、手に汗握る勝負をしてもいい気がする
有馬記念アーバンシックの単勝に220,000円賭けた場合
・お金有馬温泉になる
・お金が有馬温泉のように湧く
のどちらかで、今日のスポーツ新聞ではルメールが自信を表明していたし、この記事を書いている時点のオッズ(枠決定前)は5.5なので、勝てば121万円で、負ければ当然0円である 22万を元手に、まぁまぁ可能性のある、121万か0円かの博打にでてみるのも、短くも長い人生の中ではよいスパイスになる気がする ルメールは最近の重賞では来ていないが、有馬記念こそは!と意気込んでいる可能性も相当あると思うので、勝負のしどころである
どっちにしろ、勝負するからには「有馬記念でお金、有馬温泉!」なのだが、理性がブレーキをかけがちである ここは一つ、馬鹿になって有馬記念に大金を賭けてみたいと思う