
失っていくものに執着せず、今此処に在るものに目を向けて...地球生活の記録Let it be
いつもいつも、
朝の空を見上げる度、僕は同じ事を思う。

早朝の空、早朝の空気...
それらは、
人を含めた命あるもの達にとって、
とても大切なエネルギーを届けてくれているんだなぁ...と。

前日の嵐の名残りなのか、
この日の雲は躍動感が凄い。

日の出から間もない空。
それを見上げながら、ゆっくりと呼吸する。
ただただ、思いっきり感動する景色。
雲のカーテンの向こう、うっすらと見える白い月も美しい。

最近は何故か、日の出と同時刻くらいにスッキリと目が覚める。
一応は目覚まし時計を掛けてはいるけれど、
ここ暫くその音を聞いていない。
この日、日の出は4:28頃。
学生時代や雇われの身であった頃...
世間で言われているような管理社会の中で生きていた頃には、
あんなに朝起きる事が心身共に苦痛だったのに...
今もストレスを感じることが、何も起こらないわけでもない。
それでも極力マイペースで我が道を歩く今は、
もうあの頃の自分ではないのだろう。
朝、当たり前のように目を覚ませること。
それを幸せだと感じるようになっているのが嬉しい。

ひとしきり空を眺めた後、
古神道の行法に倣って「日拝」をするのが、暫く前から欠かさず続けている朝の習慣。
自然界の大きな力が、心と身体に心地良く染み渡っていくように感じる。
素直に、とても有り難いと思える瞬間だ。

僕には身体に宿る不具合がある。
9年程前、いや、もう少し前だったか…
今では記憶も曖昧だけれど、
特別な治療法も特効薬も無いと言われる中、
実験的に処方された薬の副作用によって命を失いかけた。
それ以来、自己責任で通院も治療もやめた。
他人や薬に、自分の命を託していた事に気付いたと同時に、
それは自分の本意では無いと強く感じたからだ。
僕は自分の生命力を信じる事にした。

数年前までは当たり前に出来ていたのに、今はそうではなくなっているものもある。
でも、まだまだやれることも色々ある。
失っていくものには執着せず、今此処に在るものに目を向け、
その有り難みを感じながら紡ぐ日々もまた良きものと感じている。
もしかしたら、自然界の大いなる力は、
そんな僕を自然治癒へと導くための、いくばくかのサポートをしてくれているのかもしれない...🍀
noZomi hayakawa
(*日拝とは、朝の太陽を拝んで、その光・エネルギーを頂く行(ぎょう)のこと)