小説「おんなじもの」
「お客さん、なんでまたこんな古いもん使おうと思うんだい?新しいもんに買い換えればいいんじゃねぇか?」
僕は、さっき店主に言われたことを思い出す。
今は〇〇電機を訪れた帰りで、午後5時を少し過ぎたくらい。
店に行った理由は、とある商品を修理してもらうためだ。
その商品というのはデジタル時計のことだったのだが、この商品は他の元ちょっと違う。
というのも、25年前の旧型で、既に販売終了となっている代物だった。
そのため、今のものと違い機能も少なく、誤作動も多発していた。
そのため、先ほどにも挙げたような意見をもらったというわけだった。
確かに最新バージョンに買い換えれば使える機能も大幅に増え、便利になるだろう。
なんたって今は西暦2043年。全てのデジタル時計に専用AIが搭載されて、携帯電話を同期させなくても単品でパソコンと同等の性能を誇る時代なのだ。
しかし、僕は買い換えるのを拒否し、修理に出した、というわけだった。
「それにしてもこの御時世に変わった人だな、あんた。今時は新しいもんに次々と乗り換えるのが大多数だぜ、特に機械類なんてな」
この意見を聞いたときに、僕は少し疑問を抱いた。
「機械にも愛着ってわきませんか?」
「使っているときはもちろんわくが、こいつらはアナログ時計とかと違って使える期間はもともと短いんだよ。それに使えなくなった頃にゃ、また新しいのが出てる。んでもって、好奇心を刺激されて買っちまうってわけさ」
「まぁ、確かにねぇ」
「ところで、無粋な話になっちまうんだけどよ」
「はい?なんでしょう」
「今までの修理費ってのは大体どれくらいなんだ?いやぁ、ちょっとな、気になっちまって。だってあれだろ?普通の時計直すのとは訳が違うだろ?」
確かにだいぶ違う。
修理費だけでなく、部品があるかどうかやシステム自体の修理もいるからだ。
それでも。
「ええ、だいぶ高いですけど、それでもその価値があると思って毎回直してもらってますね」
そう。
なぜなら、その時計の中には様々な『思い出』が刻まれているからだ。
25年。いろいろあった。
嬉しいこともあったし、辛いこともあった。
だが、全てに共通して言えることは、そのいずれの時も、その腕には同じ時計がついていたことだ。
「そうかい。あんた、筋金入りなんだなぁ。そこまで思えるなんてすげぇや」
「いやぁ、そんな大したことないですよ。ただ人一倍、物に情がわくってだけですよ」
「確かにそうだな。よし、完成っと。出来上がりましたぜ」
「ありがとうございます、これで正常にまた動くんですね!よかったぁ」
「その通りさ。あっそうだ、ひとつだけ質問してもいいか?」
「え?なんでしょう?」
「そういやその時計、長い間修理続きらしいな?」
「ええ」
「今、テセウスの船状態なんじゃねぇか?あんた、それでも同じように愛着を持てんのかい?」
テセウスの船。
たしか、あれも修理を続けているうちに本来の船の部品がどんどんなくなっていくというものだったような。
その通り。
もうこの時計本来の部品はあと3つしかない。
改めて見ると、買った当初とは微妙に違っている。
正直、この手の質問は今まで数多く受けてきた。
最初のうちこそは『もう買い換えてしまおうか』なんて考えたりしたものだが、いつしか1つの考えを思いつき、納得した。
「もちろん。いくら見た目が変ろうとも僕が同じように大事に扱い、今までと変わらない愛情をもっているうちは、今まで通りの『大事な時計』のままですよ」
これが答えだ。
いくら見た目が変ろうが、その人が『変わらない』と信じ続けるうちは変わらない。
かなり幼稚な考えかもしれないが、これが僕の出した結論。
だってそうだろう?
人間だって日々細胞が新しくなっていってるんだ、全てのものに変化がないはずがない。
良い方に変わるかもしれないし、悪い方に変わるかもしれない。
この流れは止めることは誰にもできない。だからせめて、気持ちだけは変わらずに注いでいこうじゃないか。
「・・・そうかい。じゃ、大事にしてやってくれよ。あんたみたいな人が昔はもっといたんだけどなぁ」
こう呟く店主の言葉を聞きながら、僕は店を後にした。
以前は今ほど物価も安くなかったし、何より付喪神などの考え方が多く普及していたため、多くの人がものを長く使おうとしたのだろう。
だが今はこれと真逆で安価で使い捨てのものが重宝される時代になった。
その全てが悪いというわけではないが、たまには長く使って『味』を出してみるのもいいんじゃないだろうか?
するとこの考えを聞いた周囲の人間は、僕のことを親愛の情を込めてこういう。
「変わり者」とね。
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