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【過去のブロック】人からみて、「幸せそう」かどうかが大事なの?

人から見て、幸せに見えるかを重要なものとしているとき

ぜんぜん幸せじゃなかった。

このテーマを書くのまだ恥ずかしさがあるけど、
過去の自分だなぁ。と思えるようになったから
人との比較で苦しんでいる人に届いたらいいな。

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選択するときに
これを選んでおけば、わたしは幸せそうに見えるかな?

なんて
幸せを感じていない自分を必死で隠そうとして、自分が苦しんでいた。


他人から見たら「幸せそうじゃない」ように見えること=自分にとっての不幸
と決めてること以上に悲しくて、幸せじゃないことなんてないと思う。
このとき、自分が自分をみじめにしているんだもん。
自分以上に、自分をみじめする人はいないね。


誰がどう思うかなんて、本当は自分にとってどうでもいいはずのに
他の誰かが自分のことをどう思うかが重要な意味を持ってると思いこんでいるんだろう?
自分にとっての重要な意味を、他者の価値観に持たせてしまっているのは、どうしてなんだろう?

・・・

人が勝手にあれこれ思ったり言うことを知っているんだよね。
その対象が自分に向かうことが恐いんだよね。
もしかしたら過去に、
自分じゃない誰かが陰口を言われているのを聞いたり、
自分じゃない誰かが攻撃されているのを見て
恐い。と感じたのかもしれない。
感じたことで簡単にフィルターは作られる。特別なことじゃなく。
恐いから、自分の【表現】を出さないようになったのかもしれない。

例えば、好きなものを堂々と好きだと言えなかったり、いつも正解を目指したり、目立たないように規則を守ったり。
本当の自分は出さないように、人からよく見られるようにしないと、って。

・・・

「あの人は幸せじゃなさそう」
「あの人は幸せそうに見える」
そうやって言っている人たちをみて、「ああいうふうに言われるのはいやだな」と
そこから、どうせ勝手に思われるなら「幸せそう」だと思われたい。と考えだしたとする。
でもね、そんなのはその人の主観であって
本当に本人が幸せか、幸せじゃないかどうかなんてその人自身が感じてることで、決めていること。
自分が何かを思って人生を選ぶことと、他者が何をどう思うかは自由で、別物。人が言うことはコロコロ変わるものだし、それを基準にすること自体無理があるし、意味がないことなんだ。

だから自分の人生を選択するのに、他人の言ってる言葉に左右される必要が、はじめから、まったく無い。
他人にはどうとでも思わせておいてOK。
【自分はどう感じているのか】ということをなによりも一番に大切にすることが自分にとっての喜びそのものなんだから。

「人からどう思われるか」に偏って生きている自分がつらい。
人から幸せそうじゃ無いと思われると、どうなるの?
幸せそうだと思われたら幸せ?それがゴール?
それは本当?
心は何を感じてるかな。
「ほんとうは、自分は幸せじゃない」と感じることから逃げて
「人から幸せそう」って思われたら幸せだということにしたいのかな。
「自分はいま喜んでないし、幸せじゃない」
ことを認めるまでは、心の穴は埋まらないんだよね。

そうか、幸せじゃないのか今のわたし・・幸せに見せたかったのか・・
って相当落ち込むかもしれない。
でも、ちゃんと落ち込むことができたときというのは、「喜んでないことをやっと見てくれた」と反応する自分が顔を上げてくれたときで、自分が息を吐く場所を一つ見つけられたということなんだ。
そこを通過して初めて、どうしてそれを、する必要があったのかな?って自分を知っていける。


そこからは自分が感じていることを誤魔化さないこと。
自分の世界を生きることに集中すること。
自分で自分のストーリーをつくっていくこと📖
自分が幸せに感じることを優先していいんだよ。
同じように、幸せじゃないことも感じていいんだ。それをちゃんと感じられるから、じゃあ、どうしたら自分は本当に喜びを感じられるのだろう?安心するのだろう?ということを見つけにいく出発点に立てる。
その頃にはもう、他の人がどう思うかは視界の外にあるはず。


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