Truth But Useless

「真実、だけど、役に立たない。」
だれが言った言葉なんだろう。そして、この言葉をどう解釈すればいいんだろう。 
 在宅の現場には、悲しい日本の惨く、悲惨な医療の実態がある。地域包括ケアシステムだとかいう稚拙な骨組みから抜け落ちた、救いようのない、病と孤独を抱えた人たちがいる。孤独とは、単に独居である、身寄りがいない、経済的な余裕がない、という意味ではない。裕福で、タワーマンションの最上階に住み、必要な介護サービスを受け、訪問看護を導入し、食事は宅配サービスを利用し、ほかの曜日は長年の家政婦が身の回りの世話をしている。それでも、どうしようもない、救いようのない孤独を抱えた心不全患者を、私は知っている。どうしてだろう。どうして、彼は孤独だったのだろう。そして、どうして、私の目に、彼はあんなにも孤独に映ったのだろう。

 本当の孤独とは、誰にも理解されないことだ。周囲が、その人が抱える本当の苦痛から、目を背ける事だと思う。社会的なサービスをフル活用することだけが、その人に対する愛ではない。その人が抱える孤独を、病を、理解することだ。或いは、理解しようと努める事だ。その人が抱える病をともに背負い、手当てし、その人にとっての最善のケアを提供する努力をし続けなくては、その人を支えているとは言えない。そうでなければ、私たちは、その人を前に拱手傍観しているのと同じになってしまう。
 その心不全患者は、心臓の弁の病気を抱えていた。手術をしなければ、或いは専門の医師が内科的に疾患の管理をしなければ、ゆくゆくは心臓が疲弊し、心不全状態に陥ってしまう。その事実を、周囲は知っていた。ただ、その事実は、その人を救う役には立たなかった。ただ、真実であっただけだ。それが、彼の生活を、彼の人生を好転させる助けにはならなかった。
 真実で、人を救えるのなら、世界はこんなに複雑になってはいないだろう。戦争、貧困、人種差別、男女差別、犯罪の横行、私たちの世界を取り巻く、複雑に絡みきった歪んだ現状。真実が、役には立たないという事を、悲しいほどに物語っているように思う。
 
 彼は、病を抱え、適切な医療機関へ受診することも叶わず、たった一人で、老人介護施設へ入所することになった。私が辿り着いた真実では、誰も救えないばかりか、多職種との不和を生み、環境を複雑化させた。事態は好転するどころか、悪化しただけだったのだ。
 では、なにもしなければよかったのだろうか。何もせず、ただただ現状を傍観し、指示された事を実行するただけ。目の前にある真実に目を背けて、精神を鈍化させて、何もかも、諦めて。そうやって生きることに、なんの意味があるのか。苦痛のない人生など、そもそも人生の意味を欠いている。自分を生きているとはいえない。看護師としての職務を、使命を全うしているとは言えない。 
 私の行った事は、失敗だった。私は、無能で無力だった。ただ、失敗は無価値ではないし、無意味ではない。誰にも理解されなくても、自分の思想と自分が信じたものを、自分だけは、信じてあげるしかないんだと思う。 


 真実、だけど役に立たない。
 でも、真実は、美しい。


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