弱さという強さ
2023年 3月16日
性被害から、自分を守るのは難しい。
強者に見えるやつらは弱者で、弱者に見えるやつらは強者だからだ。世界は、弱者のために作られ、強者という脆弱なやつらは淘汰される仕組みになっている。
恐ろしいのは、その事実が、誰も救えないという、事実があるということだ。この世界では、誰かにとって利益のある事実しか真実として報道されない。認められない。だが、真実と事実は別物だ。
真実とは、誰もそれを真実だと認めたくない、多くの場合は誰かの不利益になってしまうことなんだ。だから、人はそれを真実と呼ぶ。
フェミニストは嫌われつるし上げられ、政治家の汚職は絶えない。黄色人種差別ははびこっているのに、誰も声を上げようとはしない。なぜか。
だれも、その事実を信じたくないからだ。
訪問看護師が、利用者から性被害を受けた。だけど、看護師は強かった。正しく言えば、強く見えてしまっていた。そして、患者は弱かった。正しく言えば、弱く見えてしまっていた。被害者は被害者として扱われず、加害者は加害者として扱われず、強者と弱者が逆転し、弱さという凶器を振りかざしたある種の強さをもつ患者といわれる強者に、強者のふりをした愚かで脆く脆弱な看護師は、世界から姿を消すしかなかった。
すべて、誰かを守りたいというひとりの看護師の愚かな考えが招いた悲劇だった。誰かのプライド、自尊心、ケア者としての慈愛、倫理観、人権や尊厳。正義と愛、仕事への情熱。その全てを、守りたいと考えた、愚かで脆弱で脆い、ばかなやつ。弱く儚く、守るべき存在だと信じていた、強くどこまでもしたたかな強者に、この医療という世界から、わたしは淘汰されてしまった。