母とキャリアと学び続けることへの葛藤
テスト期間に入ったもののほとんど勉強できていない。しかしながら、新年から友人親子と遊んだり、補習校のPTA活動に尽力したり、新しい出会いがあったりとソーシャルライフはそれなりに充実している。どちらも充実は理想だけど、そうはうまくいかないのが世の常。今のわたしができることはただ一つ。過ぎ去った無為だと思われる時間をもったいなかった嘆くことはしない。
新年早々、長男のウクライナ人のお友達のお家へ。生物学のポスドクとして大学に勤務している友人の母は慎重で聡明な人だ。そんな彼女がカウンセラーに相談するほど仕事と育児の両立に悩んでいたとは知らなかった。ピアノを買って自分の楽しみをつくったらしい。インターナショナルな職場での同僚との齟齬やポスドクというアカデミックな職種に期待される重圧。今年は契約を更新せず新しい仕事を探すそう。息子の友人は英語が得意なのだがオランダ語はまだまだらしく、エキストラで家庭で読書時間をつくるよう言われたらしい。
「アカデミックなキャリアへの憧れはもともとない。ゆったり過ごしたい。」
同じようにアカデミックなキャリアを持つウクライナ人の夫はもちろんウクライナから出れず、それを友人は受け入れている。彼女は冷静で今起こっている戦争についても客観的に意見を述べる人物である。その分、ベルギーにも多数いるであろうウクライナ人コミュニティーに入ってはいないようだ。
「職場に若いロシア人の子がいるんだけど、ずっと喋ったことがなかったの。やっぱりロシアに対する怒りはあるし。でも年末少し喋ったら懐かしい言語で話せることがすごく嬉しくて。正直彼女との距離のが他の人より近く感じたのよ。」
と話していて切なくなった。ウクライナ語はロシア語と近くロシア語はほとんど理解できるらしい。彼女はベルギー人のパートナーと暮らしているそうだが、ロシアの家族にベルギーに住み続けることを反対されているらしい。
年始の休みはあっけなく過ぎ去り子ども達の学校が始まってもわたしは本調子でなく日々ネットの海に溺れている。夫は今年から6時半に出勤し、定時は6時過ぎに帰宅予定なのだが実態は8時、9時をまわることも珍しくない。朝と夕方の送迎からの子ども達の宿題管理や食事や寝かしつけで疲労してしまうので勉強どころではないのかもしれない。
ふと母の若かりし頃を思い出す。父はいつも遅く帰って2時間は晩酌をする人だった。祖母が元気で家事育児を手伝っていたとはいえ母の疲労は相当なものだっただろう。母は私が大学を卒業するあたりに鬱になりそれもありわたしはイギリスから帰国を余儀なくされた。回復したが数年前に再発し今も病院に通っている。兄に色々あり直接的にはそこが原因なのだろうが、今思えば無理解だと思われた父への叫びが溜まっていったのかもな。わたしも時々すごく無気力になったりお迎え後にベッドで横になってから起き上がれなかったり、残業ばかりで夫に怒りが収まらなかったりする。夫は話を聞く人なので、話をすればよいのだがそこまでが万里の長城のように遠い道のりなのだ。
よく育児と勉強をどうやって両立させてますかと聞かれるが、こんな有様なので全く両立できていない。育児と学びの両立は夫の在宅時間がどれだけ長いか、どれだけ自分の時間を自由に取れるかでずいぶん変わってくると思う。ベルギーには夫が子供達の送迎や在宅勤務で妻は遅くまで残業したりする友人も多く、羨ましくもあり「本当はもっと子どもと過ごしたい」と聞くと切なくもなる。彼女達は夫から稼ぐことを求められており、家にいて育児を求められる状況であるわたしやウクライナ人の友人と同じくらい自由で不自由な状況にあるのだ。
同じように子どもが3人いながらアカデミックなキャリアを築いている友人の言葉を思い出す。
「どうして学び続けるのかなんて問は成立しない。勉強はダイエットと同じ。当たり前に必要なこと。ダイエットしている人にどうしてダイエットしてるのって聞かないでしょう?」
末っ子がもっと手がかからなくなってからでもいいかもと弱音を吐いていると
「この先できるかはわからないよ。子ども達が病気をしたりしてお世話をしなければならなくなるかもしれない。子ども達が元気で学に通える今が一番良い時。」
さて、この言葉が進まないテスト勉強に向かうわたしにどうにか届きますように。