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迷宮に迷い込んだ一日
憂鬱だった末っ子の言語聴覚検査が終わった。決して簡単ではなかったことをここに記しておきたい。いつもより一時間早い6時過ぎに子ども達を起こす。7時半過ぎには長男長女を学童に連れていく。朝の学童は初めてだ。急いで帰り次は末っ子とバスでUZ Leuvenという大学病院へ。8時半には大学病院のバス停につき一安心したところがいけなかった。なんとわたしはMUCLA(The multidisciplinary university center for speech therapy and audiology、多くの専門分野にわたる大学言語療法聴覚センター) が大学病院内ではなくその周辺にある別の建物と勘違いしていたのだ。探せども辿りつけずまわりはKU LeuvenやUCLLなど大学施設が立ち並び完全に迷子に。やっとのところで親切な学生が手を差し伸べてくれて「これって多分大学病院の中だよ。受付で聞いてみて。」と大学側から繋がってる病院への入り口を教えてくれた。既に予約の9時をまわっている。
親切なMUCLA担当者から心配の電話がかかってくる。「遅れても大丈夫」と慰められ思わず涙ぐみそうになった。正規入口ではないのでエレベーターを降りたところでそこがどこかわからず、自転車で走る人達がいるほどの長い廊下を何度も右往左往してやっと受付にたどりつく。登録をして2階の窓口についたのは9時半。直線距離で20分あまりのところを1時間近くうろうろしていたわけだ。自分の方が何か知覚に問題があるのではないかと不安になるくらいの方向音痴さだ。
まずは手順の説明を受ける。優しそうな担当者に心がほぐれる。そして言語テスト。テストではオランダ語で大きい犬はどれ、とかこれは何など絵を指さしながら答える。3つのうち2つの仲間を見つけたり。牛乳とジュース、フォークがあると牛乳とジュースが仲間だとすぐわかるが、案外こういったカテゴリー分けはかなり文化社会的に根付いている気がして、末っ子が少々混乱しているのも無理はない気がする。
4歳のオランダ語レベルには届いてないけれど今は成長しているところよね。まだわかるかわからないかがあいまいなところも多い。また次回みてみましょう。
と優しく諭される。今朝の緊張はほぐれ彼女たちは味方だと感じ心が軽くなった。リベラルなルーヴェンの大学病院だからか、両親がオランダ語を話さないこと、家でのオランダ語が足りないまたはもっと教えるべきとの指摘は一度も聞かなかった。この後医師に耳や鼻をみてもらい終了。2人とも疲れ果てていたので一階のカフェでケーキで休憩した。
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バスで幼稚園へ。先生にハグしてお友達ともハグしてる末っ子をみると言葉がまだ難しくともきちんと幼稚園生活に順応してると安心する。急いで家に帰り軽く昼を食べると大学へ。13時から教授達のオープンレクチャーがあるのだ。
指定場所に行くと既に会場は変更されていた。たまたま来たスタッフが「場所わかる?ここから行けるわよ」と案内してくれたエレベーターに乗ったのがいけなかった。そこは博士号以上のポスドクなどしか入れないエリアだったのだ。また迷宮に迷い込んでしまった!しかもまたエレベーターフロアに戻ろうにも鍵がかかっており開かない。図書館に繋がっているドアも施錠されておりドクター限定で解禁できる。もう一つのオフィスに繋がるドアも同様。外階段につながる出口は開けるなとの表記あり、仕方なしに開けるとサイレンが鳴りだした。幸い大事にはならなかったが誰も来ない。もうレクチャーどころではない。人っ子一人いないこの空間に閉じ込められてしまったのだ。5分が永遠に感じるほどの長い静寂。ふとオフィスに繋がるドアからコーヒーを片手に男性が向かってくる。助かった。
すいません、ここを通っていいですか?学生なのに間違ってこのフロアに迷い込んでしまったです。
Congratulations!(おめでとう!)良くたどり着いたね。
とっさに何も返せなかった。このドライなユーモアはイギリス人のような気がする。急ぎ足で会場に着くとレクチャーには10分遅れでついたがまだ始まっていなかった。荒い息を落ち着けようと席につく。これはまるで人生のメタファーのようではないか。わたし達は迷宮に迷い込んでいてそれすら気づかずに偶然通りがかった親切な他人に扉を開けてもらっているにすぎないのではないか。白昼夢のような迷宮から抜け出したはずのわたしは、人生という大きな迷宮の中で迷い右往左往しながらも案外楽しんでいるのかもしれない。