「Space」から「Earth」へ
1週間前、手元のデバイスから一切のSNSを削除した。
はじめは友人とネット上でやり取りできることに引かれ、最近に至ってはもっぱら自分の創作活動の宣伝にしか利用していなかったSNSだが、この度舞台活動から一旦離れることになり、自分の創作の方針もより内的にするということで、張り切って宣伝することも無くなったことから手放すことを決意した。(といってもPCで見れるので半デトックスだ。)
もちろん創作や生活の途中で、特に見たくもないのについつい開いてしまう自分の意志の弱さに嫌気が差したのもあるし、純粋に目につく投稿がしんどかったり、ネガティブになる機会が増えたのも正直な理由だ。
とはいえ根っからお喋りや交流がそこそこ好きな方ではあるので、誰にともなく発信する場所は持っておきたいと思った。
側からどう見えているかわからないけど
自分はそもそもSNSの短い発信に向いてなかったと思う。どちらかというと「あーでもないこーでもない」なんて喋りながら徐々に形を整えていくようなタイプなんじゃないかと最近では自認している。
なので、まぁnoteはちょうどいいんじゃないかと思う。
日記というほどじゃないけど、思いついたフィクションや、しょうもないこと、あとは何か作品を見た感想とかを書いていくつもりだ。
きっと不定期だし、でももし興味が湧いたら覗いてもらえると嬉しい。
と、ここまで書いて自己紹介をしていなかったことに気づいたが、そもそもこういうのって本文中に自己紹介するのだろうか。
わからない。
まぁ最初なんでやってみよう。
ざっくりとした紹介はプロフィールを見ていただくとして、、、
一本目の投稿を「十数年やってきた舞台活動から離れた今の心境」を綴ろうと思っているので、その前に僕が舞台に関わった始まりから、凡タムというふたりユニットをつくり、今に至るまでの簡単な歴史を記しておこうと思う。
自惚れと挫折と勢いの個人史
以下、僕の創作歴を簡単に箇条書きしておく。
小学生の時にお楽しみ会でひとりコントを作成し、そこそこウケ、自惚れる。
中学時代に美術の先生に声がいいと褒められ、自惚れる。
高校時代にアニメや映画の吹き替えを観て、声優を志す。
声優系の専門学校に入り、かなりチヤホヤされ、自惚れる。
専門学校で舞台演劇に触れ、ラーメンズのコントを観て「自分もこんなの作りたい!」と思うようになる。
専門学校の進級公演や卒業公演の評判が良く、自惚れる。
卒業後、数多のオーディションに落ちて鼻をボキボキに折られる。
上京はせず、関西で創作活動する事を決める。具体的にはラーメンズ的なコントベースのお芝居を、自分で作りたいと思うようになる。
自分は小林賢太郎になりたかったので、ギリジン的な男性の相方を探すが見つからず、絶望する。
関西でMicro To Macroという劇団に入り、2年程活動する。
そこからめちゃくちゃ他劇団からもオファーが来ると思っていたら全くと言っていいほど来ず、自分には才能も魅力もないのだとまたもや鼻がへし折れる。
オファーがないので、いよいよ自分で作ろうと決意する。
なんだかんだで専門学校、同劇団と一緒活動していた「たにがわさき」という相方と、「凡タム」というふたりユニットを作成する。
凡タムで初公演(火ゲキという30分芝居のイベント)を打った後、所属していた劇団を退団する。
その後凡タムで何本か公演をうち、それなりに好評いただき、自惚れる。
しかし賞などは取れず鼻が凹む。
3年のコロナ期間を経て上演した「ヤオヤデンキヤ」が大好評を博し、その勢いに乗っかったまま第8回30GP(観客投票式の演劇バトルトーナメント)で優勝、賞金を使って本公演を打つに至る。動員も100名を越えたので少し自惚れている。
以上、ざっっっっくりとしたここまでの僕の来歴だ。見返しても我が事ながらすぐ調子に乗る。そして定期的に鼻をへし折られている。
だからこの後も折られるターンが来るはずだ。
さて、ではここからが本編になるが、
以下、特に本公演を観ていただいた方向けの内容になる。多少小っ恥ずかしいことや、やっぱり自惚れたことも書いてしまうと思うので、「有料の関門」を敷いておく。
今後もなんとなく、フリーで書く場所と、ちょっと踏み込んだことを言う場所の間には有料の関門を敷くこととする。
決して金儲けしたいなどということはなく、分別のためだ。
それはそれとしてお金はとても欲しいんだけど。
生活に困らないくらいドサッと。
まぁそれはいい。では書きます。よかったら読んでください。
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