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子どものロールモデル≠センセイ
いや、急に白川寧々氏からツイートが飛んできまして。
この場合、学校の先生って大卒者としてのロールモデル性はいまいちなわけ?
— 白川寧々@『国外逃亡塾』アルク出版より発売! (@Ning_squared) September 20, 2020
将来先生になりたい子は、この先生みたいに思えるかもしれないけど、教員以外の道に進みたい子にはロールモデル的な位置付けにはなりにくいのが現状…学校で先生が話す大学時代の話も、大学時代のバイトと部活と遊びすぎて単位落としそうになった話ばかりだった覚えがあります…
— ともっち (@tomo000122) September 20, 2020
@nozatan530 だってよ?
— 白川寧々@『国外逃亡塾』アルク出版より発売! (@Ning_squared) September 20, 2020
ロールモデルがんばれ!
だそうで、急にTwitterに通知がきました。
え?!
— Kohei Nozaki(のざたん)|会いに行けるセンセイ (@nozatan530) September 20, 2020
急にロールモデル認定!
まぁ、教員養成大で、違和感しか感じてなかったですからねぇ…(ボク、こんな人たちとお仕事できるのかな…って)
のざたんのいいとこは、普通のロールモデル性に加えて、
— 白川寧々@『国外逃亡塾』アルク出版より発売! (@Ning_squared) September 20, 2020
自分も「黒魔術w」ってクスクスできる感性と、
あ、君ならこの人に紹介しよかな?とロールモデルのブローカーになれるくらいネットワークがあるとこじゃん?
確かに『教員として』という感覚はほぼゼロでやってますね。唯一あるとすれば、時間になったら教室に存在するぐらいかな。これも減らせたらいいなとは思うですけど。
いわゆる教員って、何かに縛られてますよね。なんだかわかんないけど、偉そうな先生方にあーだこーだ言われて『教員とはこうあるべき』って閉じ込められちゃうの。
別にね、それでもいいんですよ。ただし、その偉そうなことを言ってる先生が話を聞くに値する人間だったらですけど。何人かはいますよ、自分のロールモデルにしている先生。その人って、先生のロールモデルというよりは、人としてのロールモデルです。
元々、教員としてではなく、1人の大人(というか人間)として子どもの前に立っているだけなので、その大人のクオリティは上げておこうと日々努力しています。「黒魔術」に対して『ばーか』といい放つ感性は持ち続けないといけないですよね。あれって表面だけ真似てたら、アホみたいですから。江戸しぐさとかちくちくことばとか、もう、アレでしかないです。
あ、最大の良いところを言い漏らしてた。
— 白川寧々@『国外逃亡塾』アルク出版より発売! (@Ning_squared) September 20, 2020
普通の教員ってさ、いくら法的人道的に普通の(理想ではなく普通)の正論を言っても、
「教員の立場だからそれは難しい」
とかすぐ言うの。法的人道的正論なのに!
あなたはそれ一回も言わなかった!教員であることより人間であることを迷わず優先してた!
ってこと言われたんですよね。これ嬉しかったな。
『「教員の立場だからそれは難しい」って言わなかった』って。教員の立場だからってなんだかよくわかんないですよね。ボクは休みたいときはちゃんと休みを取りますし、仕事するときは仕事しますし、必要なことには時間を費やします。
教員の立場だからっていうパラダイムでなんだかよくわかんないことになっていて、○○するべきみたいになってたとして、そんな大人に着いていきたいですかね。ボクはイヤです。人間であることをやめたら子どもの前に立っちゃダメですよ。
目に届く範囲で、困っている児童生徒たちのロールモデルになれるのかなと。ゆるゆると、社会の人とつなげるセンセイ。オフラインでも会いに行けるセンセイ。オンラインでもしたらいいのかな。困っている子どもたちのメンタリングします的な。もうちょっと練ってみます。
1人の人間でカバーできることなんて、限られているんですから、はやく先生という職の人たちが肩の力を抜いて、学校外の人たちに助けを求めにいける社会になればいいのになと。
いただいたサポートは、誰でも教員と会って話せる『会いに行けるセンセイ』の活動に利用させていただきます。