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授業のあり方を再考〜教員は授業で何をしたらいいのか

教育現場における「授業」というものの在り方が、ここ数年で大きく変わりつつあると感じています。僕自身、授業のあり方について改めて考える機会がありました。

授業で先生が「しゃべる」必要はあるのか?

いろんなところで、「どんな授業をしているのか?」と質問される機会がよくあります。返事としては「あまりしゃべらない」なんです。最近、「先生が授業でしゃべる必要があるのだろうか?」と感じているんです。

今の時代、知識を伝える役割は動画コンテンツやオンライン教材が十分果たしてくれます。むしろ先生は、それらを活用して生徒が主体的に学べる環境を整えることの方が重要だと感じています。例えば、生徒が学ぶ様子を見守り、必要なときにサポートする「伴走者」としての役割です。

授業スキルを超えた新しい教員の役割

僕は過去に、実験教室の運営を通じて授業スキルを磨く経験を積みました。授業の構成や子どもたちの反応を引き出す技術を学び、それは今でも役立っています。しかし、これからの教育では「授業スキル」以上に重要なことがあります。

それは、生徒が「学び方を学ぶ」手助けをすること。先生が知識を一方的に伝える時代は終わりつつあります。例えば、動画教材を見てもらい、それに基づいて生徒と対話を重ねる方が、生徒にとって意味のある学びになると感じています。

異端と見られる覚悟で新たな挑戦を

こうした変化を推進する中で、時には「授業をしていない」「サボっている」と誤解されることもあります。しかし、これまでの固定観念に囚われずに、「生徒がどう学ぶか」に焦点を当てることが、今後の教育現場では求められると思います。

たとえば、アニメ『チ。 ―地球の運動について―』で描かれる地動説のように、新しい価値観を受け入れてもらうには時間がかかるかもしれません。それでも、僕たち教員は「教える人」から「見守る人」への転換を進めていくのがいいんじゃないのかなと。

一方的に話す授業の意義も

ただし、だからといって一方的に話す授業が完全に不要だとは思いません。たまには、1時間ひたすら話し続けるような「特別な授業」を行うことも、教育のアクセントとして良いのではないでしょうか。こうした授業が、生徒に新たな刺激や学びのきっかけを与えることもあります。(たまには、こういう積極的な聴くを生み出す授業もあっていいなと)

まとめ

教員が知識を伝える人である必要が薄れているなかで、伴走者としての役割が求められています。

これを読んでくださった方々が、「授業」という枠組みを少しでも見直すきっかけになれば幸いです。

最後に

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